『蔵の中』に見る語りの力

思い川・枯木のある風景・蔵の中 (講談社文芸文庫)
宇野 浩二
講談社
売り上げランキング: 111409
おすすめ度の平均: 5.0
5 宇野浩二の本領発揮
5 思い川

 

書き出し

 そして私は質屋に行こうと思い立ちました。

 ――という書き出しではじまるのが宇野浩二の『蔵の中』という短編小説です。なかなかイカした書き出しですよね。物語の開始点なんて原理的に定めきれないのですから、いっそお話の途中からはじめようというのは、一つの知恵です。
 題名の蔵の中というのは質屋の蔵の中のことでして、このお話は質屋が舞台なのですから、「質屋に行く」ということは「今から物語を開幕します」と宣言しているにも等しく、そう考えるとあまりに実直な書き出しです。なんともさらっと書き出せてしまったような印象を私は受けましたが、実のところこの書き出しはなかなかに考え抜かれています。というのも、読み進んでいくと中盤に再三書き出しの文句が登場するのです、《そして私は質屋に行こうと思い立ったのでした》といったふうに多少の違いはありますが。物語の開始点の定めようのなさを証明して実に明快です。
 

構成

 しかし普通ならば書き出しの文句が話の中盤に再登場するのは妙なことです。《そして私は質屋に行こうと思い立ちました》と語り始めたからには、質屋に赴いたその理由に言及するなどして、書き出しの文句は用済みとなり、もう二度と同じ文句を繰り返さずにすむはずです。ところがこの小説、あっちへこっちへと話がわき道に逸れるので、どうしても本筋に戻ってきましたという断りを必要とするのです。書き出しの文句が再三登場することにはそういった事情もありました。
 私は今「本筋」という言葉を用いました。本筋は、作中の「私」が質に入れている好きな着物*1や布団を虫干しする口実で質屋に通い、質屋の主人の妹と恋仲になろうと目論む、というのが大雑把なところです。しかし、この小説の根本にあるのは着物フェチぶりの吐露と着物にまつわる女性との思いで話を心ゆくまで語り倒そうというところです。それら女性との思い出話が本筋の語りを延々と遅滞させる脇道としていくつも用意されていて、本筋も根本の前では脇道と等価値のエピソードと化しているので、そもそも本筋なんて言葉はお門違いだったかもしれません。
 一見すると話が脇道に逸れてばかりで支離滅裂な語りなのですが、すべては計算ずくで、構成のよく練られた作品に仕上がっています。
 

読者との距離感

 さて、その計算とやらは読者との距離感を精妙に調節する技法によって支えられています。読者が離れていこうとする一寸前に袖をつまんでちょいちょいと引っ張り気を引くような語りの基礎です。(技法とは言いましたが、普通は感覚的に心得ている技術です)
 

 だんだんと話して行くうちには成程とおわかりになりましょうが、私は昔から友だちには借りた金を返さなかった方が多く、(中略)なんの信用をも人から持たれない男です。

 これから話す内容を知悉している語り手とまったく承知していない読者の関係を考えてみて下さい。専門分野に特化したオタクが一般人に蘊蓄をたれる際の疎ましさが、作者と読者のあいだでも生じてしまいかねないことが想像されます。極端なことを言うと、作者は読者にその情報の格差を堪えてもらおうと宥め賺す必要があります。《だんだんと話して行くうちには成程とおわかりになりましょうが》と前もって断るのは、今はちょっと我慢して聞いて欲しいという要求に他なりません。
 

 そして私が今また質屋に行こうと思い立ったのは――それがその虫干しから思いついたというのは、――話がまた前後します、枝路に入ります、というよりは、突拍子もないところへ飛びます、どうぞ、ご自由に、取捨して、按排して、お聞き取り下さい。

 ここでは語り手は話が脇道に逸れることを素直に告白しています。《取捨して、按排して、お聞き取り下さい》だなんて、自分は語るのが下手だからとばかりにへりくだった態度がとてもユーモラスです。普通はここまで直球で(明確な言葉で)釈明できないものですが、この語り手の語り口とはよく合っていて臭みがありません。

 ああ、とうとうはなし始めました。(中略)話はこれ一つで止めますから、どうぞもう少し辛抱して聞いてください。

 この小説は、万事この調子で進むのです(笑)
 今気付きましたが、この小説は語りの力だけを推進力にしています。これを読んで社会的な見聞が広がるとか、奇想天外な展開に心躍らされるとかいった恩恵にはあずかれませんが、私が読んでみたい作品、読んで後悔しない作品というのはこういう小説です。

*1:作中では「著物」