ジョジョリオン完結――ルールとの格闘――
ジョジョ第八部『ジョジョリオン』が完結したので、雑感を書く。
既読前提で書くので、ネタバレ等への配慮はない。
あと、まとまりなくて読みづらい文章で、すまない。
●世間一般としては、ジョジョリオンは退屈なイメージ?
ジョジョのシリーズの中では非常に地味な印象を持たれている。率直に言ってしまえば、外連味が足りていない。
私と一緒にジョジョを読んできてくれた弟たちもジョジョリオンは最後まで読んでくれなかった。彼らは結婚して子供できて日常が忙しいという中で、漫画をある程度卒業していったということでもあるが、それでも『進撃の巨人』は読み続けていたし、『鬼滅の刃』は読もうとしたりしていて、そういった世間的ヒット作品と比較すると、ジョジョリオンは読み続ける価値がないと判断されたということである。そういうふうに、ジョジョリオン未読のジョジョファンたちは、ジョジョリオンを何となく退屈だと感じたのだろう。
舞台は杜王町。第四部と同じだ。四部もまた、その前の第二部、第三部と比較すると話の規模はスケールダウンしている。それでも第四部の人気は固い。個性的なキャラクター、前作主人公が引き続き登場、第三部とは違った切れ味のスタンドバトルなどなど理由はたくさんある。突き詰めて言えば、ジョジョとしての複雑な面白さを備えながらも、少年漫画として単純だったからだろう。主人公の東方仗助はスカッとした性格に抜群にぶっ飛んだ発想力と行動力を持っていて、読んでいて気持ちがいいし、脇に控える広瀬 康一は語り部 兼 第二の主人公として分かりやすい正義感と内面の成長を見せる。もう、少年漫画としてわかりやすすぎる。
しかし、このわかりやすさは、ジョジョがシリーズを重ねるにつれて失われていく。それが悪いことだとは言わない。ただ世間一般的なキャッチーな要素から離れていっているのは事実であり、ジョジョリオンではそれが顕著だったのではないかと思う。
●ジョジョリオンのメインが「呪いを解くこと」であるという、ふわっとした感じがいただけない
読み終わって強く思うのは、荒木先生が短編の名手なのだということ。
私のオススメのエピソードは『ミラグロマン』と『ラジオ・ガガ』の回で、要するに本編というよりはサイドストーリーとして位置づけられる短編パート。これらの回の雰囲気は荒木先生ならではで、才能が全然衰えてないんだなと安心させてもくれる。バトルがメインなのではなくて不気味さがメイン。ホラーとミステリーが奇妙に融合する独特の雰囲気がいい。
本編もそういう雰囲気を持続したかったのだろうとは思う。第七部は群像劇としての側面を強調していて、ジョジョリオンではその側面を更に強く押し出そうとしているのは感じられる。ただ、第七部ほども群像劇として成功している印象はない。
群像劇は枝や葉を描きながらも、幹となるメインストーリーがあってこそ成功するものだとすると、第七部の幹はスティール・ボール・ランというレースがそれだろう。一方ジョジョリオンでは「呪いを解くこと」なのだが、それが何なのか見失われやすいように思う。呪いとは何かということが明らかになるまでに巻数がどんどん進んでいくし、東方家や吉良家に現れる石化のような病がその呪いかなと分かってからも、その呪いに対する受け止め方と解決への意志が登場人物ごとに違いすぎて、読者の中で焦点を結ぶことがない。
目的:呪いを解くこと
その具体的な解決策:ロカカカの実を活用する
とまあ、この二行ですむ内容だが、カジュアルな読者のなかにストンと落ちてこないのである。話がややこしすぎて、この幹の部分が読者の中に形成されない。その結果、読者は話がどこへ向かっているのか分からず、ストレスに感じてしまう。
実際、つむぎの呪いを解きたがっているはずの憲助が「呪い解くためにロカカカを手に入れなければならない」と明確に認識し、その行為の是非を考え始めるのは物語の最終盤にだけだ。いかにも人の良さそうな憲助だが、呪いに関しては古くからの解決方法(自己犠牲)で現状維持を図るだけ、解決を先延ばしにする保守派であり、具体的な解決策を何も打てていない。具体的な解決策を模索している常敏・花都との対比ではあるのだが、憲助がどこへ向かっているのか見えてこない。東方家のトップがこれだから東方家全体が呪いと戦っているように見えない。はと、常秀、大弥に至っては、この呪いを巡る運命に振り回されているだけで立ち向かっているふうにはまったく見えないし、事実、ただうなだれているだけである。
言ってしまえば、彼らが何をしたいのか分からない。どこへ向かうのかも分からない迷える子羊たちが、そのまま迷っているだけ……。これで呪いを解くことがジョジョリオンの幹だと言われてもピンとこない。
呪いを解くこと=ロカカカ争奪戦!
という構図になってないところがあるせいで、何か凄く呑み込みにくく感じられるのである。
そこは、第四部でラスボス吉良吉影が登場するまでのモヤモヤに似ている。四部はラスボスがはっきりして、ひとつの焦点を結ぶ。しかしジョジョリオンは透龍くんがラスボスだと、一体どの段階で確定できるだろう? ゴールの見えづらさがジョジョリオンを読むための障壁となっている。
●スタンドバトルが冗長
第七部でスタンドは「傍に立つもの」から「立ち向かうもの」に再定義され、人型をしたスタンドのヴィジョンが拳ないしは手刀で攻撃してくることは例外的な事象となった(D4Cとザ・ワールドだけ?)。ジョジョリオンもその流れを汲んでいて、主人公のスタンドだけ例外だが、そもそも接近戦にならないのでラッシュの描写はほとんどない。
スタンドを出して殴り合うというシンプルな戦いは、もうない。呪いがテーマであることもあって、ねちっこい搦め手のスタンドが多い。自動追跡型のスタンドの多さはシリーズ随一だろう。
初っぱなのファン・ファン・ファン戦からして敵の戦い方が陰湿すぎる。もう間違いなくキャッチーじゃない。複雑であることはその複雑さを伝えるために執拗な描写を必要とし、冗長になりがちだ。ホラー描写と絶望感を伝えたい荒木先生の気持ちが強く出ている。結果として主人公勢が苦しんでいる絵がだらだらと続いているだけに見えてしまうし、その冗長さに対して解決は一発ですんでしまい、カタルシスが弱い。
ラスボスであるワンダー・オブ・Uの描写なんかはその最たる例だろう。コミックス六巻分にも渡って、ただただどうしようもない局面を押しつけられ続けるという。
ここまで敵が一方的に不利を押しつけてくると、それはもう従来のスタンドバトルとは違ったものになる。スタンドというよりは、場にひとつのルールを強いる力のように見える。主人公サイドはまずそのルールを把握し、次にそのルールの裏を掻いて敵本体を速やかに無力化しなければならない。カツアゲロードなんかはスタンド能力持ちの誰かと戦う話ではなくて、スタンド能力が舞台装置となっている場でそれをどう活用するかの話なわけですが、用は他のスタンドバトルもこれと同じで、舞台装置と化しちゃってるという。個対個ではなく個対ルールの戦い。この特徴で好き嫌いが大きく分かれそうに思える。
好き嫌いが分かれる部といえば第六部もそうで、その理由としてしばしばスタンドバトルが複雑すぎるという意見が挙げられる。ジョジョリオンも似た雰囲気がある。
辛口なことを言ってしまえば、ジョジョってのは第三部からずっとスタンドバトルしかしていないわけで、結局、そのスタンドバトルが面白さを担ってるわけだから、読者ウケだけ考えるならここが一番大事なんですよ。外連味があって迫力があって派手な力の応酬があって、そこにインテリの駆け引きが混ざるというのが従来のスタンドバトルの面白さだったはず。七部で能力が地味になりつつも絵の迫力はあって構図だけでも魅せるシーンが多かったのに、ジョジョリオンは遠隔操作能力が多すぎるせいかそのあたりの迫力もちょっと物足りなかったかなと……
……と、ネガティブなことを綴っているけど、ジョジョリオンを読むための心理的な障害が大きい(=一般ウケはしない)って話がしたかっただけであって、ジョジョリオンはちゃんと面白い。
一巻から読み直してみたが、序盤ほど情報量が多い(単純にページ辺りの文字数が多い)。荒木先生がジョジョリオンという物語を書きたいという熱意が伝わってくるし、期待させるに十分なミステリアスな雰囲気がある。
●ジョジョリオン前半のテンポのよい展開
ジョジョだから矛盾があるのはいつものこと。細かい部分に目くじらを立てるつもりなんて毛頭ない。ただどうしても目に付く部分はある。序盤で吉良の能力がシャボン玉だとされていた(シャボン玉が割れるときに爆発を起こすキラークイーン)が、謎が明らかにされた段階では吉良はシアーハートアタックのヴィジョンの爆弾を使う能力で、シャボン玉はジョセフミの能力というところで設定が固まった。ここは読者が意識的に目をそらさなければならない矛盾点だろう。
さて、ジョジョリオンの前半(つまり一巻から田最環のビタミンC戦である一四巻付近までについて)だが、割りとテンポよく話が進む。今までのジョジョと遜色ない面白さがあり、それでいてジョジョリオンならではの雰囲気が持続されている。
・壁の裂け目から定助が発見される
・定助の睾丸は四個あるという謎が提示される
↓
・記憶喪失の定助は身に付けていた帽子から自宅とおぼしき住所を割出す
・その住所は吉良吉影のものと判明する
・しかし定助は吉良吉影でないことも判明する
↓
・壁の裂け目から吉良吉影の死体が発見される
・その死体に睾丸はひとつもない(二人の交換が示唆される)
↓
・東方家に引き取られた定助は東方家の家系図からSBRレースのことを知る
・東方家と吉良家が遠縁であることを知る
↓
・吉良の母親ホリーが入院中であることを突き止め、会いに行く
・東方家の家政婦に行く手を阻まれホリーとの面会を断念する
・家政婦の虹村の正体が吉良の妹であることを知る
・虹村により壁の目に昔からある不思議な力(等価交換の力)を教えられる
・定助は自分が吉良と誰かが合わさって生まれた存在だと知る
・その誰かとは誰なのか?
↓
・カツアゲロードで知り合った老人にジョニィ・ジョースターにまつわる伝説を聞かされる
・東方家に代々引き継がれている呪い(石化の病)を知る
・ホリーの容態から吉良家にも同じ呪いがあると推測する
・東方つむぎ(九歳)が十歳になるとき石化の病で死ぬことが判明する
↓
・東方憲助は石化の病という同じ難題を持つ吉良と知り合いであり、吉良が何か解決法を掴んだようだと察していた
・吉良の死体が発見されたことで、同じ場所で発見された定助が壁の目の力で吉良と交換された存在だと察し、吉良が掴んだ解決法を知っているのではないかと期待し、定助の身元を引き取った……という事実が定助に明かされる
・岩人間なる敵対者が現れる
・岩人間である夜露の所持していたフルーツが石化の病への回答となることが示唆される
・後に、件のフルーツの名がロカカカであると判明する
・憲助はフルーツパーラーの経営者であり世界中のフルーツに精通している。ロカカカの正体を調べようとする
・その過程で定助だけが、東方常敏がロカカカに関わっていることを知る。
↓
・定助はつむぎと協力して常敏から情報を引き出そうとする
・常敏のドライブレコーダーの記録からロカカカを扱う岩人間たちに近付いていく
↓
・定助の過去を知るカレラと再会する
・カレラにより吉良とつるんでいたのがジョセフミであること、写メからジョセフミの姿を知る
↓
・ジョセフミについて調べようとしている最中に、吉良やジョセフミと敵対していた岩人間のボス田最環が東方邸を襲撃する
・田最環は夜露を含む岩人間仲間が消息を絶ってことを訝しみ、憲助に尋問することで謎を明らかにしようとする
・田最環は定助が吉良とジョセフミが等価交換された姿であることを知る
・吉良とジョセフミは田最からロカカカの実ではなく枝を盗んでいた
・盗んだ枝は壁の目に生えている木に接ぎ木され、二個の実を結んでいた
・吉良は臓器と後頭部を損傷しており、それぞれの治療に二個のロカカカを使用する
・接ぎ木されたロカカカは壁の目の力やスタンド能力による接ぎ木であることが影響したのか新たな力を有していて、吉良とジョセフミを交換することとなる
・定助は田最環を撃退し、自分の正体が肉体は吉良、精神はジョセフミをベースとして合成された人間であることを知るに至る
↓
・ホリーの病状は悪化し、一泊12万円の治療費が滞納されていることが発覚
・吉良の母親であり、ジョセフミの命の恩人であるホリーが、定助にとっても大切な人であった。
・定助はホリーを治療するために新ロカカカを手に入れなければならないと誓う
といういった具合で、プロットがはっきりしてるからストーリーがサクサク進んでいく。
ここまでで十四巻。
ここまでの話の持っていき方がダイナミックでいいんですよ。常敏の登場回は特に好きで、憲助が自分のフルーツパーラーについて どやり倒す流れから入って、常敏が「人間だもの」というギャグを連発して陽気な性格を強調する。そこから自然な形(?)でクワガタ対決に入る展開は、これぞ荒木先生って感じ。クワガタ対決中の常敏と常秀のやりとりは、この二人は兄弟なんだなと分かる妙があって、荒木先生はこういう上下関係を含む人間性を描くのクソ上手いよなぁと感心させられる。勝利のためなら些末なり倫理観をあっさりと踏み倒す性格であることもはっきり伝わる。「クワガタ対決で勝てば弱点をさらけ出すから、勝負して勝て」というつむぎの助言がすごくフワっとしてるなと思いきゃ、「常敏の愛車であるランボルギーニ・ガヤルドのドライブレコーダーから誰と接触していたか割り出す」という具体的な作戦をちゃんと練っていたことが読者的には意外で、つむぎ当人は病気のこともあるし父親を疑う後ろめたさもあって滅茶苦茶真剣なのに、ダジャレを言うクセで「静かでもガヤルド」と頻繁に繰り返してしまうのが、これも荒木節の効いたユーモアで、読んでいて幸せなんですよね。
この辺りのアツさと謎に迫っていく緊張感、その後に来る田最環のビタミンCによる絶望感とすべての謎が解き明かされていく感覚が、ジョジョリオンの山場。
この後から最終巻(二七巻)までは岩人間との戦いであり、新ロカカカ争奪戦である。ストーリーとして解決すべき謎は回収してしまっているので、謎を原動力とした面白さは薄くなる。端的に言って失速を感じる。
●ジョジョリオン後半
一五巻から二七巻まではTG病院の岩人間との戦い。
ドロミテ戦、アーバン・ゲリラ戦、プアー・トム戦、ドクター・ウー戦、ラスボス戦。
読み返してみると、連載時に追っていたときほども冗長とは感じない。特にプアー・トム戦はギミックが少なくて過去最低の出来だと思っていたが、意外とテンポよく進んでいて悪くなかった。プアートムに放置で勝ち確という圧倒的不利な条件を押しつけられた常敏が、限りなく行動を制限された環境から機転を利かせて最終的にロカカカの枝を手に入れるという側面を主軸に解釈すると名バトルと感じられる。
それでもやっぱり、その決着では物足りないよなぁというものばかり。ドロミテ戦なんて、定助の負け方にこそこの戦闘の趣があるというクセモノ回。敵スタンド能力の穴を見つけたのに(ゾンビ化させられるのは一体ずつだから、動きを止めやすい小動物に感染したときにゾンビを完全拘束できれば無力化できる)、最後に能力に感染したのが幼児であったため倫理的に殺せず負けるというのはとてもいいんだけど、変化球すぎる。カタルシスという一点においてはどうしても物足りない。
ラスボス戦は二一巻から二七巻まで続く。間に常敏vsオージローを挟むとはいえ、さすがに長い。プッチ神父やD4Cラブトレインみたいに形態変化を挟むなら戦いのステージが変わったと感じられるが、ワンダー・オブ・U戦では岩昆虫戦を混ぜてくる形式なので間延びしてしまう。これはもう全部ワンダー・オブ・Uの特性のため。ワンダー・オブ・Uは自分から何かを仕掛けるのではないカウンター属性の能力だし、これの定助の対抗策も追わずに追わせるという相手に先に手を出させる作戦なので根比べになってしまい、同じ絵が続くため躍動感に欠ける。
災厄そのものとの戦いという発想は素晴らしいが、ラスボス戦がもっとも退屈だったのではないだろうか。そもそも医院長が、これを倒せばジョジョリオンはおしまいという正真正銘のラスボスであると確定するまでが長くて、なんなら二十七巻が最終巻だと判明するまで私はそれを確信できなくて、着地点が見えないからこそいっそう冗長に感じてしまっていた。
後半の魅力は東方花都と豆銑礼が担っている。
接ぎ木したロカカカを見つけるには植物鑑定士の力が必要だとして豆銑礼が登場する。サヤエンドウやツタの意匠がちりばめられた全身タイツという出で立ちに作者のぶっ飛んだセンスを感じる。敵から逃れてスキー場のロープウェイに来たかと思えば、まさかの「そこが住居」である。荒木先生はいつもこういう生活を想像しながら生きてるんだろうなぁと、こちらの心臓が高鳴る。
〇〇する確率何%~とかの、データキャラによくある口癖は、これ絶対定着しないキャラ付けだなと予想させつつも、豆銑礼が理知的なキャラクターであることはすぐに伝わってくる。新ロカカカが不老不死に通じていて、それが人類に何をもたらすかを示唆し、敵組織がそういったものを研究できる集団であることまで予想する(だからって医者かもと出てくるのは強引だが、定助はこれをもとにブラフをかけてアーバンゲリラが医者であるとの言質を引き出す)。おいしいイチゴを栽培するために一部のイチゴは優遇し他のイチゴは劣悪な環境に置くのが合理的な手法であると説き、守るべきものと切り捨てるべきものをはっきり二分してものを考える性格であることを読者に伝える。これによりイチゴ畑を観察できるロープウェイ生活は合理的であるという結論が、ぶっ飛んでいるのではなく一周回って自然な発想なのではないかと思わせるのが荒木クオリティである。
東方花都は懲役を終えて出所した姿から描かれる。花都は常敏の母親である。花都と常敏、両方が生きていることは異常なことである。
東方家の長男が石化する呪いは当然常敏にも訪れたはずで、古くからの習わしでは母親が壁の目の力を利用して呪いを引き受け代わりに死ぬものだった。常敏の場合も母親が代わりに死んだのだろう、そうであるから東方家に憲助の妻であり常敏の母である女性は不在だったのだろう、と思わせておいて、後半になって花都がさらっと登場する。
花都は作中で「倫理よりも家族の幸福」といっている。家族への愛を持っていて、常敏のためになら死ねるのだろうが、それ以上に常敏のために生きるということを考えていた。一六巻で、花都が壁の目を利用し、他の男の子(同情しがたいゲス野郎ではあるが)に呪いを押しつけたことが明かされる。世間的には殺人罪として処理され花都は服役することとなる。
憲助としては東方家の問題を他人の命で解決した許しがたい行為という認識だろう。
花都の価値観は常敏にも引き継がれている。常敏は新ロカカカを手に入れるためならば杜王町でどれほど被害が出ても構わないと思っているし、笹目オージローとその愛人を殺してもいる。
結局、物語が終わりを迎えるにあたって、正しい道を歩まなかった者は退場することとなった。常敏の退場は淡泊すぎるの一言だが、花都のほうは自分の信念を貫き通した死に様となって、感慨深い。憲助でも常敏でもなく花都の価値観が呪いの解決に辿り着けるのだとするところに荒木先生の価値観が透けて見える。悪く言えば、正しいだけでは解決できないことがある。よく言えば、自己犠牲こそ真実の愛なのである。そんな感じか。
●虹村さんは悪くなかったのに退場させられてかわいそう
かわいそう。
ボーン・ディス・ウェイって追跡に特化したスタンドだから、ワンダー・オブ・Uに刺さってもいいかもしれないと思ったんだけど……。追跡のスイッチ(何かを開閉する)を押すのは透龍くん当人だからワンダー・オブ・Uの反撃にはあわないって解釈が通らないかな~?って妄想していたんだけど、そうはならんかった。そうだよねえボーン・ディス・ウェイを仕掛けた時点で攻撃判定でちゃうよねえ。
災害が独立してあって、透龍くんのワンダー・オブ・Uはそれを操る能力でしかないってワンクッションおいてるからこそ、スタンドパワーだけでは埋められない差があるってことなんだなと自己解決するも、かなしい。
●で?
東方家の呪いは解けて、定助も東方家の一員として認められて、めでたしめでたし……という結びはいいのだが、吉良家の呪いは解けていない。ホリーさんを救えていないのは、さすがに、やっぱり、どうしてもモヤモヤしてしまう。新ロカカカは吉良吉影とジョセフミが命を賭して辿り着いた呪いへの回答だ。そうだからこそ定助だけが新ロカカカを手にしてもよい、というロジックだったはずなのに、花都に使われたうえに枝もなくなってしまった。
ホリーさんも虹村さんも救えるシナリオはなかったものかと悔やまれる。どうすればいいかねえ? 植物絡みのスタンド使いが味方にいて、新ロカカカの接ぎ木に絡めていけたら、もっと融通できただろうか? 豆銑さんが生きていて、このサボテンから接ぎ木を再生することができる!とか無理矢理な展開にしてもらっても私は一向に構わないんだが。ああやっぱ豆銑さんだよなあ、生きていて欲しかったなあ。
●最後に
なんかネガティブなことばかり書いてるので最後にベストバウトでも語って終わろうか。
ドゥービー・ワゥ!戦、アツいですよねえ。呼吸から生じる小型の竜巻が襲ってくる自動追跡型スタンドで、射程の外に逃れようとするも際限なく追ってくる。その殺意の高さに、登場人物たちばかりか読者も息が詰まるっていうね。その反則級の仕掛けへの回答が、これまた反則級の禁じ手で、ペーパー・ムーン・キングってことだよぉ! つむぎのスタンド、つっよ!てなるあの衝撃は格別ですわ。
クワガタ戦もいい。すでに軽く触れたので割愛。
ベストバウトとなるとビタミンC戦は絶対候補に挙がる。強敵感が凄まじい。大きな破壊力でどうにかしてしまうのとは真逆で、意識はそのままに無力化してしまうという邪悪さというか絶望感というか。千円札で臓器を刻むという魅せ方も最高。岩人間って最終目標がカネで、そのカネである紙幣で攻撃してくるっていうのが洒落てる。単純な能力ものってところじゃなくて魅せ方とか洒落とか、荒木先生だから描けるバトルってところが尊い。定助がビタミンCの射程を看破して煙突式の暖炉を使って鳩を外に逃がすのも、さらっとやってるけどかなり知的な回答で好き。
個人的にはカリフォルニア・キング・ベッド戦とかボーン・ディス・ウェイ戦とかもかなり好きなんですけど、あまり共感得られないかな? 一回読んでも、ふーんで終わるんだけど、二周目以降の読書で迫力を感じる。『ジョジョリオン』は二周以上読まないと駄目だな。
てなところで駄文もお終いです。
第九部もやるんですよね? ジョジョランド、でしたっけ? 普通に楽しみにしています。それでは ごきげんよう。