095 第六章 - 物語の紡ぎ手と虚構の住人

朝、葉の上には露がひとしずく乗っかっていた。旅の相棒は僕よりも先に起きて、露を舌先で舐めて回っていた。相棒は、本日中に人里にたどり着けると安請け合いした。彼女はそして僕の横を音もなく通り過ぎていった。足下の草に舌先をあてがっていたときの姿勢の低さのままで。彼女は見付けたに違いなかった。地中からはい出てきた生命は、数年ぶりの地上の空気を味わう余裕すらなく、肉体が命じるままの機械的で確実な所作で木を上っている最中だった。まだ抜け殻を脱ぎ捨ててもいないそいつを、蝉を、レイラは直接口で捕まえた。咀嚼が始まり、殻の砕ける音がした。

 
 アリストテレスは蝉を好んだという。特に、地中から這い出したばかりで殻を脱ぎ捨てる前の柔らかい蝉を。
 昆虫食は、日本では敬遠されているが、世界的に見ればそう珍しいことでもない。となれば、世界を異とする作中では昆虫食に何ら抵抗はないのではないか。主人公=正常(我々読者に近い)、旅の相棒(ヒロイン)=異端の構図が基本のこの物語も、ここでは語り手の主人公が密かに読者を裏切っている。「蝉なんか生で食えるか!」とツッコミをいれる読者の傍で、主人公は「僕が食べたかったのに」と思っているとして、それを密かに楽しむ私(作者)は、なんとも嫌みなやつである。
 
 私の不安は最後の一文にある。果たして地中から這い出したばかりの蝉は、咀嚼によって殻の砕けるような音を立てるのだろうか。食したことがないので分からない。