『バトゥーキ』雑感

バトゥーキとは幻の格闘技の名前でもある
その技は現代カポエイラの源流の一つとも言われる
私はカポエイラを解き明かす為
バトゥーキを求め放浪していた
だが バトゥーキはもうどこにもなかった
バトゥーキは失われた格闘技

 ―― 『バトゥーキ』5巻より引用




 『バトゥーキ』の最新巻である8巻まで読んだ。
 雑感をかきたくなったので書く。


 世にも珍しいカポエラを題材とした格闘漫画。
 作者は『嘘食い』でおなじみの迫稔雄先生。
 『バトゥーキ』読んで真っ先に思ったのは「迫センセー、やっぱり格闘漫画書きたかったんやん!」てこと。多分みんなそう思ったはず。
 連載誌が紙媒体からwebへ変えられたりと扱いが不遇で心配していたが、読んでみたら面白かった。確かにストーリーが本番に入るまではかったるい雰囲気がある。一気読みする分には気にならないし、むしろ短くまとめすぎてるぐらいだけど、連載時に追いかけていたらタメの部分長いなと感じただろう。特に主人公に仲間ができて共闘態勢が築き上げられるまでは、雰囲気が暗い。『ホーリーランド』や『オールラウンダー廻』は格闘漫画の名作だけど、それでも「あの暗さがキライ、気持ちよく燃えられないからヤダ」ってのが格闘漫画読者のメジャーな気質だから。
 でもね、未読の人たち、心配しないで! 『嘘食い』読んだことあるなら想像できるでしょ? ダイナミックなアクションや豊かな表情が簡単に想像できるでしょ? 迫先生が格闘漫画書いたらどういうふうになるかって。その期待を裏切らない作品になってるから。あとギャグも切れ味凄いから。迷わず購読しよう!


 というわけで、以下、ネタバレとか気にせず巻ごとに雑ゥ~に感想書き殴ってく。


1巻

 主人公、いっちこと三條一里とカポエイラの出会いが描かれる。
 カポエイラといえば「ブラジル」「奴隷」「黒人」「手に枷があるから脚だけで戦う」てなワードがぱっと頭に浮かぶ。日本の漫画で黒人を取り扱うのは人種差別問題やら肌のトーン貼るのが面倒くさいやらで避けられがちだが、カポエイラ漫画やるなら避けられない。
 いっちは自分を束縛するものに耐えられず自由を求めてカポエイラに惹かれていくが、最初はソレが何かも分からないまま近付いて行く。ソレが格闘技のたぐいであると知るのは146P(一巻は196P)。おっそい。でも、この得体の知れ無さがカポエイラなんだってことでもある。格闘だけじゃない。歌もある。寂海王じゃないけど「強くなるだけではつまらんぞ~」ってこと。


2巻

 ホント、腕っ節が強いからって、現実の前にはそれほど役に立たない。地球温暖化年金問題も解決できない。痴漢や暴漢に対処するだけなら格闘技を極める必要もない。殴って、蹴って、強いだの弱いだの、小学生で卒業しておけということを大人になってもやってるとしたら、それは本当につまらない。マウントを取り合うレスバの醜さそのもの。
 現実で格闘技をやるなら精神性を高めるものであってほしい。プロ格闘技はアイドルが歌や踊りで人を元気にするように、華や憧れを見せて活力をくれる。アマチュアにとって格闘技は自分を表現する手段であったりコミュニケーションそのものであったりする。もしそうであるなら、格闘技だけに拘る必要もない。
 と、私は思う。
 そんな中で、格闘漫画は主人公をどう戦わせるのか?
 大人が戦うのはハズカシイことなら、主人公は高校生ぐらいが望ましいのでは?
 ついでに将来の夢は世界征服とか書いちゃう小学生の感性か地続きのヤンキーものなら倫理もクソもなく喧嘩できるのでは?
 あるいはジャンルを絞ってメジャーな大会を勝ち抜く形式にすればよいのでは?
 (あるいは異世界転生して魔物が相手ならいいんじゃね?)*1


 『バトゥーキ』ではどうかというと、主人公の身内が拉致され人質になり、主人公が負けるたびに人質の身体の一部を切断されるという制約がなされる。
 倫理と平和から外れた外の世界から(地球の裏側からというべきか)戦うことを強制される。薄暗く、血なまぐさく、絶望感と悲壮感が漂う展開。


3巻

 ベルナルド・ジョーカー(略してBJ)により強くなることを強要される主人公であるが、何かの格闘技をやっているわけではないし、BJも強くなるための手段は指定してこない。いっちにあるのは一巻で少しだけ学んだカポエイラの基礎、これだけ。
 その基礎がこちら。
・ジンガ(カポエイラのフットワーク)
・ハボジアハイア(低い姿勢から繰り出す後ろ蹴り)
・メイアルーアジフレンチ(廻し蹴り)
・ネガチーヴァ(カポエイラ特有の低い姿勢)
 想像するにネカチーヴァが体幹レーニングの役割を果たして、いわゆるインナーマッスルは最低限鍛えられてるし、ジンガから蹴り技がスムーズに出せるよう練習はしているものの、戦い方そのものは学んでいないから蹴りの当て方(どのようなときにどの蹴りを使えばいいか)分かってない状態か。
 これではまともに格闘技やってる相手と戦えるレベルではない。
 そんないっちのもとに現れるのがカポエイラを使いこなす新米教師にしていっちの担任である広田流亜先生。


 広田先生、めっちゃ好みですわ。常に明るい性格も、丸みのある顔も、筋肉で厚みのある身体も、鍛えられた大胸筋の上に盛られている乳房も、大臀筋の逞しい尻も、あとカフェインジャンキーなところもまぁ……


 いっちは広田先生から、過去にカポエイラ異種格闘技戦に勝ち続けた者の話を聞いたこともあって、やはり自分にはカポエイラしかないと決意し、先生からカポエイラを学ぶこととなる。
 このあたりのカポエイラに関する理解が深まっていく感じは読んでいて楽しい。カポエイラが強いかどうかではなく、誰のカポエイラが強いかっていうくだりも好き。


 そんで、この巻の一番の見せ場が、vs空手。いっちが本格的にカポエイラを使って強者と戦う。やっといっちが格闘漫画の主人公をやる。
 通り魔的に仕掛ける一戦だから正真正銘の何でもあり。相手はフルコンタクト空手しかやってないから顔面パンチに慣れてないと語られてるけど、個人的にはそれよりスポーツ系格闘技では側面・背面からの攻撃に対応できない点のほうが大きいかなと。いっちも手刀で突きを受け流しつつ至近距離からの上段回し蹴り使って死角からの蹴り決めている。カポエイラのことはこの漫画でしか知らんけど、これカポエイラの基本戦術のひとつなんだろうなぁ。近接格闘で死角からの蹴りがあるって、前情報なかったらヤですね。


 路上での喧嘩の決着がOKでつくってのは普通に考えると現実的じゃなく、女(いっちは15歳)がそれをやるとなると更に非現実的になる。でもOKぐらい分かりやすい決着じゃなきゃ漫画は映えないわけで、そのあたりの理屈づけも「カポエイラの蹴りならば可能」ってのでなされてる。確かにハボジアハイア2連発の説得力は伊達じゃない。


 あと格闘漫画ってプロレスなんですよね。台本があって、互いに見せ場つくって、そして劇的決着がメインのストーリーとしてあるべき。で、互いの見せ場つくるためには互いに必殺技を受けて、それでもなお立ち上がるってのをやるのが伝統的にあるわけで、女が主人公で、しかも非情な路上で、それをどこまでやれるのか、という思いもあった。『エアマスター』なんかだと女が主人公でもバカスカ殴られてるし血も出るけど、こっちの漫画はもっとリアリティーある路線だし。
 腹に突きをもらうぐらいがせいぜいかなと。それ以上もらっても競技みたいにラウンド制ではないから回復できないし、機動力そげちゃったら必殺技当てられなくなるし。今後の試合の組み立てで、この「魅せ」の部分を迫先生がどうするのか、そのあたりにも注目していきたい。


4巻

 いろいろ情報がある巻だけど、雑感としては特に言うことないかな。
 BJに強制されていっちから強者に襲いかかるルールだけど、これだと主人公側に有利すぎて漫画としては退屈だし、逆にこれで有利とれないのも読者にはストレスになるから、このままいくわけがなく、主人公不利から勝負が始まる展開になったりする。


 でも私の興味持ったのは漫画にあまり関係ないビンバのセクエンシア。カポエイラvsカポエイラを念頭に置いた型でカポエイラの基本的な動きがつまっている。こういうふうにひとつの格闘技を体系的にまとめるセンスってすごいよなぁという創始者への尊敬の念が一番に来た。
 そしてこれに対するアンチテーゼを持つキャラが作中にでてくる。カポエイラvsカポエイラではカポエイラvs非カポエイラに対応できないとする主張。いっちに求められているのもこっちのカポエイラだけにもどかしいものがある。


5巻

 想田くん、メインストーリーに深く絡んでくるのかなと思ってたらここできた。極道の息子って、また便利なカードだな。


 この巻で、いっちは身内を人質に取られ戦わされていることを友人たちに隠しきれなくなり、BJの存在等含めて説明することとなる。友人らは臆することなくいっちの助けになろうとする。
 バトゥーキは失われた格闘技。だったら俺たちでバトゥーキをつくろう。
 共闘態勢に入ることが決まったこのシーン読んだとき、ああこの漫画はここから尻上がりに面白くなるぞと確信させられたし、今のところこの確信が裏切られる気配は微塵もない。


 そしてさっそくBJvs裏稼業で殺し専門の中国拳法という面白いカードをブチこんでくる。迫先生は中国拳法っぽい何かを描くの好きそう。嘘食いでも夜行Bがカンフーアクション系の技を好んで使ってた。金剛力士像のようなわざとらしいポーズ、不安定な足場でも器用に身体を支えるバランス力、肘や肩まで使った回転の早い手技といった具合で、それっぽくて面白い。(欲を言うと中国拳法の使い手の体つきにもっと厚みを持たせてもらいたかった。こんなに鍛え込んでいてこの線の細さはない)
 2巻でブスカペといい勝負してたペドロをBJは一発で仕留めていた。BJはどれぐらい強いのか気になっていたし、未熟な主人公と違いBJも殺し屋も完成されているわけで、この戦いはこの漫画がどこまでインフレするかの試金石ともなる。そういう意味でも興味深い一戦だった。とりあえず乗用車とぶつかっても、ぶつかり方をコントロールできれば歯が抜けるぐらいですむらしい!


 いっちが片手ハボジアハイアを使い始め、総合格闘技でもその有効性が認められ使われている蹴り技だとさらっと解説がはいる。
 何もしらんかったから「総合格闘技 カポエイラ」でググったらいろいろ動画が出てきた。過去に見たことあるやつもあった。あれカポエイラだったのか、と。前蹴りが普通に鋭いし、ハボジアハイアらしい蹴り技もリーチが長いから反撃されにくそうだし、蹴らずに回転するだけとか混ぜられると間合い感覚やら緩急やらが狂いそうだし、距離を潰すために使えるしと、思ってたより使い勝手がよさげ。あと単純にカポエイラを研究してないと初見では見えない動きになりそう。


 あといっちの髪型が変わることにも言及したい。孤独だった頃は短髪にしてたけど、仲間を得て心に余裕ができたから伸ばし始めた(セミショートというのかな)。それはいいんだけど、顔がアップになったとき広田先生とちょっと区別が付きにくいシーンが増えた。


 そして広田先生のメストレ(カポエイラの師匠)であるアロモゾの登場である。
 達人をどう描くかは作者の哲学や力量が如実に表れる。大樹や岩のように崩しがたく安定感があるというよくある描写や、いっちの低い姿勢に対抗する低さ、音楽でスタイルが変わる変態性で期待を違えぬどころか期待以上に面白かったけど、それ以上に、カポエイラは闘争だけではないと浮かび上がってくる流れがよかった。


 本筋じゃないんだけど、カベッサーダ(頭突き)に特有の手の位置が気になってた。頭突きは一巻ですでにブスカペが使っているし、二巻で純悟も使ってるシーンがあって、両手のを顎の下付近に添えてる。なんだこれ、と。手枷を嵌められてる前提なのかなと想像したり、廻し蹴りとかフック系のパンチをガードする意味合いがあるのかなと予想したりした。アロモゾのカベッサーダを見るに、相手の腕を撥ね除け押さえ込みつつ潜り込んでいく用法なのかな?
 そういえば頭突きの技術を体系的に組み立ててる格闘技ってどれぐらいあるんだろう。連携の中に頭突きが混じってるだけとか額で拳を受けるとかはいくらでもあるだろうけど、頭突きを主力武器のひとつとして頭突きのコツを説いてるレベルのやつとなると珍しそう。相撲とかぶちかましがあるから頭突きを当てる角度とか、頭と頭でぶつかり合いながらも芯をずらしていなす技術とかあるけど……


6巻

 6巻、これについて真っ先に言いたいことは、ただひとつ。
 まさかこの漫画で中心脚が見られるとは思っていなかった。
 コータロー、もう連載再開しないよねぇ、さすがに。


 悪軍連合との衝突するパートが始まる。
 ここからモロにヤンキー漫画のノリ。悪軍連合がヤンキー属性だから自然とそうなるのか、迫先生が意図的にそうしているのか。そういえば嘘食いにもヤンキー属性の立会人いたな。迫センセー、ヤンキー漫画も書きたかったんやん!
 ヤンキー漫画ってなんでこんなに面白いんスかね。暴力しか取り柄のないゲスの集団しかでてこないのに、読みたくてしかたがなくなるこの感じ。
 かつて主人公と戦ったことのある強者たちを絡めての悪軍連合の顔見せの流れが完璧すぎてぐうの音も出ない。格闘漫画の教科書でも目指しているのかという風格。
 ていうかフルコン空手vs伝統空手のネタだけでご飯三はいける。時代が変わっても格闘漫画なら鉄板ネタ。そして時代の変化に伴いそれぞれの評価が変わってくる。令和一発目のフルコン空手vs伝統空手はこれだ!!!(知らんけど)


 学校に集団で乗り込んでくるとか、自宅訪問とか、寝込み襲撃とか、そこまでいくと読者レベルで引く。敵勢力のヤバさが分かりやすい。こんな悪役がどんな悲惨な目に遭っても同情の余地なく見ていられるし、そういう連中の中でちょっと仁義なり人情なり見せてくるキャラがいると魅力が出ちゃう。


 広田先生のセーラー服姿すごいな。素材悪くないのに、なんでここまでオバサン臭を強く描けるんだ。
 あと想田くんの観察眼と戦略眼が的確で地味にポイント高い。システマだって全然分からんかったわ。


7&8巻

 悪軍連合のボス、鉄馬がステロイド否定したところでピンときた。これ絶対、格闘技何もやってないけどナチュラルに強いマンだって。周囲が何かしらの格闘技の凄腕だからこそ、かえってその確信を強めてくるわ。(そしてwebに掲載された最新話で正解だと判明)


 悪軍連合の地下格闘技トーナメントに乗り込む純悟、想田、孟のテンションが面白すぎ。そしてカマリオが便利カードすぎる。彼は結局アロモゾの関係者(弟子?)ってみんなに説明したんだよね? 描写おもっくそカットされてるけど。でもどういう距離感でいるんだろう。BJのこと聞かされてないと悪軍連合に自主的に潜入するという選択肢でてこないはずだし。アロモゾがBJの名前を口に出したのも気になるし。これ、広田先生もどこまで知ってるんだ? さすがに学校襲撃の一件があって野暮とかいってられくなっていっちの抱えている問題を聞いたのかな?
 なんにせよカマリオがいい仕事するだけでこっちを笑わせてくるのズルい。「乗り込む」を「典子む」と誤変換してくるのヤメロw


 地下格闘技トーナメント、意外とルールがしっかりしてるというか審判が職務に忠実なのが(よい意味で)気になった。悪軍連合の一員って感じじゃないよね。プロの審判勤めたことあるような人材を外注してるのかな。って、どうでもいい想像を膨らませてしまう。


 で、今まで路上での格闘だったのが、曲がりなりにもリングの上で審判のいる場で戦うわけで、こうなるとカポエイラという色物格闘技(いやここまで漫画読んできて今更色物とか思っちゃいないけど)はボクシングのジャブに対応できるのか? キックボクシングのジャブやローあるいはミドルのキックに対応できるのか? というテーマをやりたくなる(読みたくなる)のは当然の流れ。
 だからボクシングやキックボクシング出てくるだろうなと思ってたけどラウェイとか知らんの出てきた。細かいところで予想を外してくる。


 雪菜もなにげにスペック高い。空手が女子の県大会二位でレディースの元頭で彼氏が栄子の兄……って、これだと栄子の兄さんもそこそこ強そうなんだが、どれぐらいやるんだろ。


 孟の一回戦の相手が、孟の「腕が細い」って下に見るシーンで、私の心見透かされた気がした。そんなん知ってるし、と作者に言われたかのような気分。
 それにしても、この孟といっちが戦うことになるとは思ってなかった。いっちがまだその域に達していないから何らかの事情で試合が流れるだろうと予想していたけど(試合中に顎にかすめるパンチもらって倒れたとき無事に試合終わったと思ってむしろ安堵した)きっぱり外れて、しかもいっちが勝つとは。読み返すとかなりハンデつけてもらってる。
 ・BJの前蹴り(軽傷)
 ・オバルの追撃(重傷)
 ・試合直前に相手がいっちだと気づいて雑念が入り、その隙を突かれる形で受けたガロパンチによる聴覚へのダメージ
 ・試合中の急所攻撃(目つぶし)の躊躇
 それでも一回勝っちゃうと次も勝てそうな風格つくよね。主人公特有の高速成長が気持ちいい。


 純悟の戦いで一番興味深かったのは額で拳受けるシーン。これをこなすための目線や距離感の調整の部分。漫画ではほぼ語られることはないけど現実では一番大事な“誘導”の部分。柔道漫画とかだと投げの前に崩しがあるって話はよく出てくるけど、崩しの前に誘導があって、誘導→崩し→技の間隔が短くなって一拍子に近付くほど達人っぽい振る舞いになっていく。この誘導の概念自体は流儀を問わずあるんだけど、技の中に組み込まれているものであって、これをはなっから指導する流儀って、多分ないんだろうなと思ってたんだけど、この漫画だとカポエイラはそれを初期の段階から教える格闘技らしいと読めるのよね。マランドラージェン(カポエイラ使いが張る罠)も広義の誘導の一種だろうし。純悟はしょっちゅうマランドラージェンを使うから、そこが見所の一つになっている。決まらなかったけど頭部狙いのハボジアハイハを経ての胴体狙いのハボジアハイアも狙い所がよくて素敵。
 この頭部狙いのハボジアハイアのとき、蹴りの後に間合いを詰められて苦戦する。ここ、あれ?って思ったのよね。動画見てる感じだと蹴りの後間合いを易々詰められるように思えなかったから(いっちがカイと戦ったときも二連続のハボジアハイハの性能が説かれてたし)。実際、このあとでハボジアハイア二連続で迎撃してるから、これも竜大を引き込むための布石だったんだな。
 試合前の鉄馬への喧嘩の売り方といい、純悟カッケーわ。


 そして夜の公園でいよいよいっちと鉄馬が戦うと匂わせるところで8巻はお終い。


B・J

 ベルナルド・ジョーカー。
 『バトゥーキ』の物語を動かしてる張本人。
 初登場時は、なんというか、魅力が分からないキャラだった。変な髪型してるし、それ以外に際立った特徴ないし、目の形も使い捨てのモブキャラ臭さあるし、ギャングの使いっ走りっぽい立ち位置なのかなと予想させてきた。上と末端を仲介するだけの、いわば中身があってないような存在かなって。でも全然違った。代わりなどきかない、彼しか所有していない復讐心が、いっちの運命を呑み込んでいった。
 不気味で残虐で、いっちを強くすることでギャングのボスの遺産を総取りしようとする(これだけ聞くとゴルゴム並に回りくどい手段とってるな)闇の住人。
 そのはずなのに、やたらとユーモラスな描写が入る。霊の天丼ネタが面白すぎる。それを支える変顔。迫先生の画力が遺憾なく発揮されている。
 歪な思考回路も魅力。人質に取っているペドロとアルナ、そして脅迫しているいっちを家族と呼ぶ狂気的な価値観。
 BJはどんな最期を迎えるのだろう。ハッピーエンドなどあり得ないだろうし、ハッピーエンドを与える義理もないが、彼が退場するとき彼が何を思うのか。これもこの漫画を引き立てる大きな魅力になっている。



 はい。
 自分勝手に書き殴って気持ちよくなったので、今日はここまで。
 解散。

*1:流行といってしまえばそれまでだが、なんでこんな発想になるのかねェ