倍と二倍

登場人物

 ミスリィー 20歳

 レイラ   9歳

 

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「ねえ、ねえ、ミスリィー、あのね、レイラ、ちょっと、ちょっと知りたいから、ちょっと教えて欲しいんだけど」
「え、やあよ、今忙しいんだから」
「ちょっとでいいから、ちょっとですむの。あのね、ここにビスケットがあるとするでしょう」
「え、どこに?」
「もう! ないけど、あるとするの。あるとするでしょうって、レイラゆったでしょう? 仮定なの。タラレバのお話なの。ニラレバの話じゃないのよ、そうだったら、そうであれば、のタラレバなのよ」
「はいはい、いいから早く言いなさいよ」
「あ、もう! ミスリィーが話の膝を挫いたのに、そんなこという?」
「話の腰でしょう。膝なんていわないわ」
「え、そう? そうともゆうかもしれないけど、でも、本当は話の膝かもしれないでしょう」
「話の膝なんていいかたはありません。そんなのどこにあるの」
「え、ゆうよ、レイラはゆうもん。レイラはお話ししたいことあるのに、ミスリィーが、膝をかくんてしてくるみたいに、話の膝を折るから、レイラ本題に入れなくて困っちゃうっていう意味なの。ミスリィー、それぐらい分かるでしょう? ちょっと想像したら、分かるでしょう? ミスリィーって先生じゃなかったの? それともまだ先生のタマゴなの?」
「はいはい。それで、本題はなんなの。ビスケットがあるとして、それがどうしたの。マーマレードジャムでも塗って食べるのかしら」
「それ美味しそう」
「そういえばビスケットはないけどクッキーはあったわ。三時のおやつに紅茶を淹れましょうか」
「じゃあレイラはマーマレードジャムのクッキーにコーシーをつける。お砂糖とミルクを入れたブラックのコーシー」
「砂糖とミルクが入ってるならブラックじゃないでしょう」
「え、レイラそんなこといってないもん、ブラックのコーシーに砂糖とミルクを入れるって言いたかっただけだもん」
「はいはい。じゃあそれを入れて頂戴。よく考えたら紅茶は切らしていたからコーヒーしかなかったわ」
「うん、じゃあお湯を沸かすね」
「沸かすのは水よ。水が沸かされてお湯になるのだからお湯を沸かす必要はないでしょう。だってもうお湯になってるんだもの」
「違うもん、レイラ違うもんそんなことゆってないもん! お湯を用意するために沸かすからお湯を沸かすってゆっても間違いじゃないもん!」
「えー、納得いかないわ」
「でもお風呂を沸かすってゆうもん! お風呂ってお湯でしょう、だからお風呂にお湯を代入したらお湯を沸かすってゆうことになるでしょう。レイラ数学できるんよ。偉い?」
「えー、納得いかないわ」
「納得いくもん! ミスリィーが知らないだけだもん。だってミスリィーは体術の先生だから数学とか言語学の先生じゃないでしょう。だから知らなくても恥ずかしくないの。だから正直にゆってみて。ごめんなさい本当はミスリィーは知りませんでした知ったかぶりしちゃいましたって」
「えー、納得いかないわ」
「あ、もう。あ、もう。ちぇっ。ちぇっていうやつよ。やあんなっちゃう。レイラ、やあんなっちゃうって、十回いわないといけない」
「はいはい」
「あっ! レイラ、そんなこと話しに来たんじゃないの。聞いて、ビスケットが一つあるとするでしょう」
「あるのはクッキーだって言ったでしょう」
「もう! また話のひ……腰を折った!」
「膝じゃなかったの?」
「腰も膝もがくがくですけどなにか?」
「いいえ、なにも」
「やあんなっちゃう! ミスリィーのいやがらせ、やあんなっちゃう!」
「でも私、体術の先生だし」
「レイラのお話、かわいそう! 腰も膝も立たないってゆってる!」
「じゃ、また今度にしましょう」
「ちょっとだから聞いてってば! じゃあクッキーでいいから。レイラは大人だから譲歩してあげる。譲歩って、譲ってあげますってゆうことなのよ。これちょっと難しいからミスリィーには分からなかったかもしれないなー、レイラ難しいこと大好きだから、これちょっとミスリィーには分からなかったでしょう」
「それで、クッキーが一個あって、それがどうかしたの?」
「クッキーの数が二倍になったら、クッキーはいくつになるの?」
「二個でしょう」
「じゃあ、三倍になったら?」
「二個のクッキーが三倍になったら、三倍の大きさのクッキーが二個あることになるわね」
「違うの、そうじゃないの、一個のクッキーが三倍になったらって、レイラそうゆってるの」
「三倍の大きさのクッキーが一個あるということね」
「違うの、数と大きさは別なの、ミスリィーわざとでしょう、わざと間違えてるでしょう」
「あ、分かるんだ」
「分かるよ、だってレイラ賢いから、そうゆうことは分かるようにできてるの」
「あ、そう。できてるんだ」
「それでね、クッキー一個が四倍になったら、四個でしょう?」
「ええ。五倍なら五個、六倍なら六個。それがどうかしたの?」
「じゃあ、倍になったらいくつ?」
「一個のクッキーが倍になったら二個でしょう」
「それ!」
「どれ?」
「それ! 倍になったら二個ってゆうやつ! でも二倍でも二個でしょう? なんかへんくない?」
「へんくないって、え、なにそれ、やだわ、変な言葉」
「へんくないってゆうよ」
「言わないわよう」
「ゆうよ、シャルだって使ってたもん。サイファーだって使ってたもん。レイラだって使うから。へんくないよ」
「前から気にかかっていたのだけど『違うくない』を『ちがくない』ていうのも変だと思うの」
「あ、レイラもそれ、変だと思う。でもちょっぴり格好良いから使ってみようと思って、使っちゃうの。ちがくない?」
「違うわよ」
「えっ?」
「え?」
「待って、ミスリィー、またやってるでしょう」
「なにを?」
「腰とか膝とか」
「そうね」
「ここでは暴力は禁止です」
「あら、私は暴力なんて使ってないわ」
「ちがくないもん。言葉の暴力だから。言葉の暴力は御法度です。御法度って、分かるかなー、これちょっと難しいからミスリィーには分からなかったかもしれないなー、レイラ難しいこと大好きだから、これちょっとミスリィーには分からなかったでしょう。帽子のことじゃないのよ」
「帽子?」
「5ハット」
「そんな馬鹿な間違いしてたの?」
「レイラそんな間違いしないもん! はじめの一回しかしてないもん! ミスリィー、やあんなっちゃう、あ、もう、やあんなっちゃう!」
「はいはい。で――要するに、倍と二倍が同じ意味だってことが納得できないと言いたいのね?」
「そう! レイラやっとゆえた! ああ長かった」
「でも同じ意味なのよ」
「えー、納得できない」
「納得なさい」
「でもレイラはもっと納得したいの。倍と二倍が同じことだって今朝気付いて、レイラ賢いって自分で自分を褒めたけど、でも全然納得できないの。ミスリィーがちょっともっとちゃんとよく教えてくれたら嬉しいんだけどなー」
「ちょっとなら教えたでしょう。レイラちゃんはちょっと教えて欲しいとしかいってないから、ちょっとしか教えないわ」
「え、そういえばレイラはそんなことゆったかもしれないけど、でも先生ってゆうのは、子供にいっぱい教えるのが好きだから、ちょっとじゃ済まなくなるって聞いたんだけど」
「誰がそんなこといってたの」
「え、みんなゆってるよ」
「みんなって誰?」
「みんなってゆうか、どこかの誰かさんがゆってそうだなってレイラは思うの」
「でも私は体術の教師であって言語学の教師じゃないもの。数学の教師でもないのよ」
「あ、思い出した。レイラのちょっとはミスリィーの倍あるって聞いた」
「誰がそんなこといっていたの」
「それは誠に遺憾ですが秘密です。企業秘密です」
「えー、納得できない」
「でも大人のちょっとは長いでしょう。レイラがちょっとってゆったら、本当にちょっとのことなんだけど、ミスリィーがちょっとってゆったら、二時間ぐらいかかるでしょう」
「えー、納得できない」
「もう! 納得できないのはレイラなの! 倍と二倍が同じなのは納得できるの! でも一倍と二倍が同じなのは納得できないの!」
「一倍は『×1』だから二倍とは違うわよ。クッキーは一個のままよ」
「じゃあレイラ、人一倍頑張ったってゆわれても嬉しくないってゆうことになっちゃう」
「でもそんなことないでしょう」
「そう。レイラは嬉しくなっちゃう」
「そうでしょう。人一倍っていうときの一倍は副詞的用法だから倍数の考え方はしなくてもいいのよ。副詞的用法って、分かるかなー、これちょっと難しいからレイラちゃんには分からなかったかもしれないなー」
「え、レイラ分かるもん」
「そう? じゃあ、どういう意味か教えて頂戴」
「え、それはちょっと、今すぐはできないと思うの。でもミスリィーがいつもいってるけど、大事なのは根本を掴むことなの。レイラはミスリィーが体術の先生って知ってるけど、言語学もちょっと知ってるって知ってたの。だからミスリィーに聞きに来たの。レイラ、何かおかしいことゆってる? 間違ってる? 根本を外していないでしょう。だから、それでいいの。それから、えっとね、副詞的用法ってゆうのは、副詞みたいな使い方のことなの。副詞っていうのは言語学の言葉なの。レイラはミスリィーの生徒だから、体術のことは分かるんだけど、言語学のことはちょっと分からないの。でも、ちょっと分からないってゆうことは、ちょっと分かってるっていうことなの。全部分かってないのとはちがうから。これ大事よ」
「えー、納得できない」
「ミスリィーにはちょっと難しかったみたい。さてここで問題です。ミスリィーはレイラに人一倍クッキーをあげました。それは何個でしょう」
「話を逸らすのが上手くなったわねえ。一年前なら言葉を知らない野人みたいに飛び跳ねているところだわ。レイラちゃんは覚えてる? これぞ地団駄って感じでタップを踏んでいたのよ」
「レイラそんな話してないの」
「いくつでも食べていけばいいわよ――あら、おかしいわね、クッキーの箱が見あたらないわ」
「それってもしかして昨日全部食べちゃったかもしれない。レイラの名前には零の音があるし、レイラのお口もまん丸で零みたいだから、零を掛けてしまったみたい」
「じゃあコーヒーしか出せないわね」
「あ、そういえば、先輩がシフォンケーキを作ってくれるってゆうから、レイラは急いで帰る途中だった。ああ忙し忙し。だからレイラもう帰るね。二倍」
「二倍?」
「バイ、バイ」
「それなら四倍でしょう」
「ミスリィー」
「なあに」
「四倍」
「はいはい」
「はいは一倍でいいの」
「はあい」
「ミスリィー」
「なあに」
「四倍」
「はいはい……また明日」