失笑

 ここのところブログの更新をしていなかったようだから更新しようと思いたった。

 ところで自分のブログに対して《更新していなかったようだ》と推量を用いるのは妙な気もする。自分のブログであるしウェブ上の履歴であるから即座に確認できる。さらには大雑把に二ヶ月間ほど更新していなかった事実は記憶に留めた上での発言である。なにが《ようだ》だろう。
 しかしブログには更新した気がするエントリとそうでないエントリの二つがあるという話をすれば、私の感じ方も少しは理解して頂けるのではないか。
 前回の記事は会話主体のちょっとフォローしかねる小説であるし、その前は二度にわたって『人生論ノート』の講釈――しかもちっとも専門的ではなくって高校生の私自身を読者として想定している――である。こういったエントリはなんというかブログを更新したという気分とはまた別の気分がある。更に遡ると「近くて遠い二人の距離を」と題された記事があり、まあこれはブログ記事らしい感じがするし更新した実感もある。だが更新の日付を確認しなければいつ頃更新した記事であったかさっぱり記憶にないし、確認しても三歩歩けば忘れるというものだ。そういう記憶は三歩も持てばいいほうだ。
 
 そういうわけで――いやどういうわけだったのかもうすでに覚えていないのだがちゃんと説明できただろうかいやどうでもいいや面倒くさいし――長らく更新していなかったような気がするといった曖昧な気分だけが尾を引いて、むしろ更新しないでいる時間を誰かと競っているような気もしていた始末。もちろん本当は億劫だから避けていたわけであるが。
 
 だがブログというものはもっとこう書きたいから書くといった気楽なものでいいはずではないか、億劫であることが書かないことの理由であってもむしろそれこそブログ道の正しきあり方ではなかろうか、無理に書こうとするよりは、よっぽど。
 そんな考え方をしていると今書いているような二束三文にもならないどころか時間を返せ馬鹿と罵りたくなるような他者にとって益のない文章がだらだらと綴られてしまう。そう、他者にとって益のない、しかし私にとっては益のある、というか、駅へ向かって走る電車の揺れのように心地よい感覚――あやっぱり今のところカットね益と駅でつなげるとかオヤジ臭ハンパないから……
 
 
 
 閑話休題
 
 
 
 本題に入る。
 本題なんてあったんだ、とか思いつつ。
 もう気持ちよくなっちゃったから本題とかいらないなとか思いつつ。
 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120923/k10015214921000.html
 
 リンク先では「にやける」という言葉の誤用が指摘されている。
 
 恥ずかしながら私も誤用していた側だ。
 さしあたってしばらくは反省し、誤用を控えるだろう。
 時間をおいて、誤った用法(にやける=ニヤニヤしている)を再び使うか考えるだろう。
 
 しかし従来の意味、正しい意味とされている「にやける」を使えるようになる予定はない。
 なにせ本来の意味とされる「なよなよとしている」様が具体的にどういったふうであるか想像できない。つまり生きた文章中で用いられる「にやける」を私は知らない。例文をいくつか読んで、何度か用いてみれば違うのだろうが、そのための労力が惜しいのである。なにせ私はブログ更新を億劫に思う人間である。
 
 たいていの普段目にかかることのない硬めの熟語もそういう扱いになる。
 たとえば……
 私は「倹約家」という語は使えるが、同じ意味の「吝嗇家」は使いこなせない。とはいえ吝嗇家ならまだ硬めの文章を書きたいときに使おうと思えるが、家をとって「吝嗇」だけになると「ケチ」の意味だと分かっていても使用を躊躇う。
 「贅言」は贅沢な言葉、つまり無駄な言葉、余計な言葉のことであることは辞書を引けば分かるし、「贅言を要しない」といった例文が記載されてもいるが、その程度の一例ではニュアンスが掴みがたく、怖くて到底使えない。「余計な言葉」という意味を持っているらしいが「蛇足」と全く同じように扱って問題ないのか、それともニュアンスの露骨な差があるのか、あるいはまったく似つかない言葉なのか、さっぱり分からない。
 「霊廟」などはどうだろうか。これなどは文章上で意味を理解しているか否かよりも、実際に霊廟を訪れて空気を感じてみないことには理解できた気にならない。
 
 まして「にやける」は平仮名四文字であり漢字のように文字単体のイメージの想起を持っていない。
 そもそも「にやける」=「なよなよしている」の「なよなよ」もまた不可解である。
 「なよなよ」を引くと「しなやかなさま、たおやかなさま」と出てくる。しなやかもたおやかも女性的な様子を意味する言葉ではないか(たおやかに至っては漢字で書くと「嫋やか」である)。ところが「にやける」は男の状態を指していう言葉である。広辞苑によると「男などがめめしく色めいた様子をする」とある。
 男が女っぽい様であることを「にやける」というのだろうか? しかし「にやける」を誤用していた私が億劫ながらも(ネットを含まない)下調べをした感触では「にやける」は「脂下がる」とかなり似た雰囲気を持っているようである。つまり「でれでれ」している状態である。でれでれしている状態が、女々しい状態であろうか? まあ日本男児がふんどしを締めていた時代であればそうなのかもしれないが……。
 
 そこで今度はネットで、というかグーグル様にお伺いを立てたところトップに表示された『語源由来辞典』が(ネットを含まない)今までの下調べはなんだったのかと疑問に思わざるを得ない痒いところに手の届く情報を晒していた。
 
若気る(にやける) - 語源由来辞典
 
 このソースを信じるならば「にやける」は「若気る」と書き、明治頃までは「にゃける」と発音し、その「にゃける様」が「ニヤニヤしている様」に近いことから「にゃける」というよりは「にやける」のほうがしっくりくると人々に思われたのか「にやける」という発音になっていったと想像される。
 ようするにやっぱりニヤニヤしているということではないか。

 ……と、このように、分からない言葉であるから、距離を置くことに決めた次第である。*1
 個人的には単に「しまりなく薄笑いしている様」が「にやける」であってもいいような気がしている。
 つまり誤用を推す立場でいる。
 
 ところが。
 
 同じ冒頭のリンク先で指摘されている「失笑」の誤用はただちに殲滅せねばならぬ、とも思うのである。
 

▽「失笑する」については、「こらえ切れず吹き出して笑う」と本来の意味で理解していた人は27.7%、「笑いも出ないくらいあきれる」と誤って理解していた人は60.4%でした。

 
 もっとも私も失笑という語をはじめて知った頃は、しばしば「失笑とはつまるところ笑うのか、笑わないのか」が分からなくなったものだ。
 
 

 ▲画像左端の人物(いわゆるバーロー)のような「半眼で」「呆れながら」「ハハハ…」と笑う様を「失笑」と表現するラノベが私を攪乱したのだったと思うが具体的な作品名が思い出せない。
 

 この問題にけりをつけてくれたのが「失言」だった。
 失言は、言ってはならない場面で言ってはならないことを言ってしまうことだ。
 ならば失笑は、笑ってはならない場面で笑ってはならないことを(つい堪えきれず)笑ってしまうことなのだ。

 失笑とはつまるところ笑うのか、笑わないのか?
 笑うのである。
 現実の失笑は「ハハ……」なんて気の抜けたものではなく「ハハハッ!」だったり「ブブフォッ!」だったり「プシーッ!」だったりする。*2
 失笑の誤用など、まさしく失笑ものである。
 
 
 
 ざっとこんなところで、本題はおしまい。
 筆を置かせて頂きます。
 オチ?
 落としてはならんのですよ、これはアメ細工よりも脆い、デリケートな問題だから。
 よってオチは割愛します。

*1:いやもうここまできたら結構分かってる気がする。

*2:私の人生ではそういった失笑が観測された。