ONE PIECE 63巻――タイヨウ

 新章に突入して最初の舞台は魚人島。
 麦わらの一味は今や九人もいるし、魚人島では志や目的の異なる複数の勢力が絡み合っており、尋常ではない登場人物の数となっています。さすがにこれは操りきれないのではないかと危惧している次第です。が、今回63巻ではジンベエから語る形で回想シーンに突入します。これで各々の事情を整理できて登場人物の相関図が頭に入ってくる寸法ですね。
 回想では奴隷解放の英雄フィッシャー・タイガーと魚人島の先代王妃オトヒメ、今は亡きこの二人の人物を通じて魚人と人間の関係が語られます。


 人間以外の種族が複数登場するワンピースの世界でも、魚人族は真っ先に登場した種族でした。人間を支配し、金を搾取する悪役として登場したアーロンの印象から、魚人は強い、魚人は粗暴といったイメージがありました。
 しかし作品の世界全体が見えてきた今となっては、魚人は人間にとって差別の対象であり、非常に肩身の狭い思いをして、奴隷として捕獲されないよう隠れて生きている実態が明らかとなっています。魚人族には次のような特徴があるにもかかわらず。
・生まれながらに人間の十倍もの腕力がある。
・海でも呼吸が出来るため、水中だけでも生きていける。
 海の領土が世界の大半を占めるワンピースの世界では、魚人族の方が圧倒的に有利な環境にあるように思われるため、魚人族のこの肩身の狭さは少々疑問でした。が、63巻でのオトヒメ王妃の渾身の訴えにその答えがありました。
 
《あたスィ達が!!!
 水中だけでも生きていける私達が!!!…
 広い広い海の中…
 暗い暗い海底で!!!
 ただこの場所だけを選んで住んでるのはなぜ?
 ここには小さな“光”と“空気”があるからではないですか!?
 地上には!!
 もっと大きな光がある!!
 もっと高い空がある!!
 子供達がこっそりシャボンディパークを見上げに行くのは なぜ?
 世界にはもっと素敵な場所があるのに!!!
 行ってはいけない場所なんてあるはずないのに!!!
 何か大人びた理由を付けて!!
 自分を納得させ…
 諦めているだけじゃありませんか!?
 勇気を出して一番欲しいものを欲して下さい!!!
 …………!!
 その障害が“人間”ならばみんなでぶつかりましょうよ!!!
 そうすれば………!!
 魚人島の子供達の生きる未来が……!!
 少しだけ…
 変わるかも知れない!!!》
 
 この訴え自体が屈指の明言となっていますが、今は《ここには小さな“光”と“空気”があるからではないですか!?》の部分に注目しましょう。《ここ》というのは魚人島のことであり、海底でありながら陽樹イヴの根から光と空気が供給される環境にあります。
 魚人族といえども光がないことには生活が不便なんですね。となると、太陽の光の届く浅瀬を住処にすることが考えられます。誰も日の差さないところになど住みたくはない。が、そういった浅瀬は明らかに人間の手・耳目の及ぶ範囲であり、誘拐・人身売買の標的にされてしまいかねない環境ということです。誰もそんなところに住みたくはありません。
 奴隷解放の英雄タイガーは、奴隷の印である天竜人の紋章《天駆ける竜の蹄》に太陽のシンボルを重ねて刻印し、また、奴隷ではない魚人にも太陽のシンボルを刻印することで、誰が元奴隷であったのか判別できないようにしました。このときのメンバーが魚人により構成されたタイヨウの海賊団となったわけです。
 では、なぜ太陽のシンボルなのか? 奴隷の烙印を覆い隠すための造形として適切だったに過ぎないのでしょうか?――そんなことはありません。タイガーは魚人が陽の光の下で生きてもいいのだと思っていたはずですし、実際、太陽の下で生きてみせるとする決意がタイヨウの海賊団船長としての生き様だったのでしょう。
 オトヒメ王妃もタイヨウがこの上ないシンボルであったことを理解していました。彼女は登場したばかりのころから退場するまで(63巻の巻末まで)、「タイヨウ」の言葉を使い続けます。「太陽」ではなく「タイヨウ」なのは、魚人にとって馴染みの薄いものであり、象徴的に見なしているためでもあるというのが国語の教科書的な回答でありましょう。一見すると空疎でしかない四つのカタカナの羅列は、実際、魚人島に生きる魚人たちにとっても象徴性が薄く、希望を抱くに値しない語のようです。が、物語が進むに連れてこの空疎な四文字の言葉には、オトヒメ王妃が同じ言葉から感じているであろう象徴性が込められてゆくのです。彼女が狙撃され、死の際に、《もう一息よ 本物の“タイヨウ”の下まで…》と子供達に伝えるところに、彼女の悲願が、けだし悲願であったことが最も明確に表れています。

 私たちは海に棲む魚と太陽を結びつけて考えることはしません。それだけに、魚人というファンタジーの生物が登場しても陽の光が必要と即座に理解する人はいないでしょう(第一、漫画というものの夜はいまいち暗くないものですから)。ところが、先に引用したオトヒメ王妃の訴えや次に引用した最期の言葉によって魚人にも太陽が必要であることが、特に説明されることなく理解され、海の底に住まうようイメージされたファンタジーの存在が、一気に海上へと引き上げられるのです。すなわち、「ああ、なんだ、魚人も人間と同じなんだ」という感慨を抱かせるのです。