続・筆銀物語〜どこかの誰かの言葉の中で〜

筆銀物語



 百の夜が過ぎ、百の絶食が続き、一行は氷に閉ざされた世界を歩み続けた。
 彼らは口々に弱音を吐いた。吐き続けた。呼吸のように。
 しかし日々がいかに過酷でもペンギンたちはいつしか慣れる。踏み重ねた弱音の上に謀叛を企てる革命家気質の血の滾りが芽を吹こうとしていた。
 彼らは一様に疲弊し耄碌した頭脳で道半ばにして倒れたアニキについて考え始め、吐き出される白い息の吹き出しを埋めるがごとく呻くがごとき言葉を並べた。
 
「アニキは死んだ! もういない! だけどオレの背中に、この胸に! 一つになって生き続ける!」
 
 誰かの発した台詞が彼らのハートに火を灯した。
 
「一回転すればほんの少しだが前に進む。それがドリルなんだよ!」
 
 ドリルのように回転し続ければ何かが変わると信じて彼らは歩みを止めない。
 やがて螺旋状の上昇を描き、気力は充実を見る。
 
「兄さん……! なぜか全身に新しいパワーがみなぎってきたぞ! これならいけるかもしれん!」
 
 焦って倒れたものがいたとしても、前のめりになることは後ろに倒れるよりも尊いとして彼らは同胞を抱き起こし肩を貸す。
 
「オレたちが……! お前の両足になってやるぜ!」
 
 しかし吹き付ける風は冷たく、熱を帯びた炎でさえ揺れるというのに、筆銀の心が揺れないことがあるだろうか。仲間の支えに疑念を抱く。
 
「あなたの目的も世界大海で水泳競争することだったんですか? オレはアニキの身代わりなんですか?」
 
 海中を突き進む兄貴の姿は銛のようであり、同族のレースでは負けを知らない。誰もが兄貴を目標としていた。
 
「自惚れるな! 誰もアニキになれはしない」
「そうさ、オレはアニキじゃない。オレはオトウトだ。そしてあなたもアニキにはなれない!」
「! ……確かに……最初は純粋にオトウトを育てるために引き受けた役目だった。アニキの代わりとして。それならばボクのなすべきことはオトウトを世界大海の王者にすることだ」
「違う! アニキが伝えたかった思いはそうじゃないはずだ! 俺たちはアニキを越えなければならない! オレはオトウトとして! そして、あなたはライバルとして!」
 
 そして彼らは、またあるときには兄貴の情け深い懐を思い出して呟く。
 
「おれがもの心ついてからというもの…
 世の中のやつらはどいつもこいつも一歩へだてたところからしかおれに接しようとはしなかった
 みなしごペンギン
 危険なペンギン……
 無法者ペンギン
 野生のペンギン
 けんか屋ペンギン
 筆銀のおっちゃんにとってさえ
 しょせん
 おれに 自分の見はてぬゆめをかなえさせる筆銀人形にすぎなかったのさ…
 そこへあのアニキが……
 偉大なアニキだけが……
 ひとりの男の持てるありったけをたたきつけて
 いっさい欲得ぬきで――
 この 矢吹きペンギンと肉と骨を
 ぶつけ合い
 きしませ合って
 ふたりが力のかぎりに打ち合ったパンチは……
 しぶかせあった血けむりは……
 そんじょそこいらの百万語のべたついた友情ごっこにまさる
 男と男の魂の語らいだった
 そうよ
 ソウルメイトだったんだ
 あいつは……
 ほんとうのアニキだったんだ」
 
 
 
   ***
 
 
 
 海が見えてくると煌めく海面が彼らを正気に返した。
 先頭を歩いていたのは偉大なる長兄であった。
 
「待ちに待った時が来たのだ。多くの虚妄のアニキが無駄死にでなかった事の……証しのために……! 大海よ! 私は帰ってきた!」
 
 俺を勝手に殺すな、と言う代わりに当てつけがましく叫ばれた言葉に彼らは、気まずい沈黙によって多弁に応えた。