創作とは私と精霊の奇妙な共同作業であるということ

 hiroさんのハイクで知ったエリザベス・ギルバートのスピーチ 「創造性をはぐくむには」を見ました。
 

http://www.ted.com/talks/lang/jpn/elizabeth_gilbert_on_genius.html
 リンク先の動画には日本語字幕もついていて助かります。
 スピーチは19分32秒あります。
 長すぎると思う人は、下に字幕を引用しましたので流し読みして下さい。*1


 引用開始
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 私は作家ですが書くことは仕事以上のものです。
 ずっと情熱を注いできたし今後もそれは変わりません。
 といいつつ最近変わった体験をしました。
 公私にわたって仕事への姿勢を考え直すことになりました。
 最近回顧録を書き上げました。
 題名は『食べ祈りを愛する(Eat,Pray,Love)』です。
 明らかに今までの作品と違います。
 どういうわけか各国の言語に翻訳され話題を呼び世界的ベストセラーになりました。
 その結果として今ではどこからも運が尽きた人扱いです。
 本当に「もう終り」なんです。
 みんな心配顔でこういいます。
 「あれを超えられなかったら不安では?
  不安にはならない?
  一生書き続けようと注目される本がもう二度と書けないって」
 まあ勇気づけられますこと。
 もっとひどい経験もあります。
 二十年以上前、10代の頃いったのです。
 作家になりたいと。
 人々は今と同じ不安顔でした。
 「成功しなかったら?
  拒否される屈辱に耐えられる?
  一生書き続けて
  何も完成しなくて
  口は失敗の苦渋に満たされ
  破れた夢の山なす残骸の上での垂れ死んでも?」
 そんな感じでした。
 これらの答えは端的には「イエス」です。
 もちろん不安です。
 常に不安です。
 怖いものは山ほどあります。
 他人が分からないものも。
 海藻などゾッとします。
 でも執筆に関しては、天職だと思うことを恐れるのが当然と見なされるのが理にかなっているか? と最近ずっと考え続けています。
 クリエイティブの世界が他と違うのは、精神を気遣われるということ。
 他の職業ではあまりないでしょう?
 父は化学技術者でした。
 私の記憶では40年勤めたあいだに仕事が不安かと訊いた人はいません。
 「最近科学技術スランプは大丈夫?」
 ありえないでしょう?
 もっとも化学技術者のほうは何世紀も風評とは無縁です、
 「躁鬱の飲んだくれ」という風評とは……。
 作家にはつきものです。
 いえ全クリエイティブ業界で精神不安定で知られているし
 無惨な死者の数を見ても明らかです。
 20世紀だけで偉大な創作者たちがどれだけ早世し自殺しているか。
 実際の自殺でなく、自分の才能に殺された人もいます。
 ノーマンメイラーは生前いいました。
 「作品がじわじわと私を殺す」
 ライフワークに対し尋常ではない考え方ですが誰も驚かないでしょう。
 長年聞き慣れた話ですから当然のことと捉えられています。
 創造に苦悩はつきものであり芸術性は必ず最終的に苦痛をもたらすと……。
 今日の提起はここです。
 これでいいと思います?
 変だと思いません?
 よく考えてみても?
 私には引っかかります。
 忌まわしいし危険な発想でしょう。
 次世紀に残して欲しくない。
 むしろ生き続けるよう励ますべきでは?
 自分の状況から見ても分かります。
 あの暗い前提を受け入れるのは危険でしょう。
 ことに私の今の状況を考えるなら。
 つまり、この通り、まだ若く40そこそこ、
 仕事もあと40年続けるかもしれない、
 今から先書き上げるものは間違いなくこの前出版した本と比較されるんです。
 信じられなくらい売れたあの本と……。
 ここだけの話、率直に言うと今後代表作を書ける見込みは低いんです。
 ああ、なんてこと!
 こんなふうに考えて人は朝9時からジンを飲むようになるんです。
 それはごめんです。
 好きな仕事を続けたい。
 そこで考えます、「どうやって?」
 振り返ってじっくり考えました。
 書き続けるためになすべきことは
 心理的に守れるものを作ることだろうと
 安全な「距離」を保てるようになること
 作家としての私と未来の作品の評価を心配する私のあいだに
 昨年中手本を探し続けました。
 歴史も遡り、様々な社会も探りました。
 よりよく真っ当な見解はないかと創作者を助け創作につきものの
 精神的リスクを管理できやしないかと。
 古代ギリシャとローマにありました。
 ついて来て下さい。じき戻りますから。
 古代のギリシャとローマでは信じられていませんでした。
 人間に創造性が備わっているとは。
 創造性は人に付き添う精霊で遠く未知のところから来たのです。
 人間の理解を超えていた動機から
 古代ギリシャ人は精霊を「デーモン」と呼びました。
 ソクラテスはデーモンがついていると信じていた。
 遠くから叡智を語ってきたと。
 ローマ人も同様でしたが肉体のない創造の霊を「ジーニアス」と呼びました。
 彼らは「ジーニアス(天才)」を能力の秀でた個人とは考えなかった。
 あの精霊のことだと考えていました。
 アトリエの壁の中に生き、
 ハリーポッターの妖精ドビーのように創作活動をこっそり手伝い、
 作品を形作るんです。
 素晴らしい!
 先ほど話した「距離」が存在します。
 作品の評価から心理的に守られるものが。
 そういうものだと人々は信じていました。
 古代のアーティストは守られていたのです。
 たとえば過剰な自惚れから。
 どんなに立派な作品でも自分だけの功績ではない。
 霊が助けたと知られていたからです。
 失敗しても自分だけのせいじゃない。
 「ジーニアス」が駄目だったんです。
 この考えは長らく西洋に浸透していましたが
 ルネッサンスがすべてを変えました。
 とてつもない考えが現れた。
 世界の中心に人間を置こうではないかと。
 すべての神と神秘の上に。
 神の言葉を伝える謎の生き物は消えた。
 合理的人文主義の誕生です。
 人々も信じ始めていました。
 創造性は個人の内から表れるのだと。
 史上初めて芸術家が「ジーニアス」と呼ばれるようになりました。
 「ジーニアス」が傍にいるのではない。
 これは大きな違いですよ。
 たった一人の人間を、
 男でも女でも一人の人を、
 神聖で創造的な謎の
 本質で源だと信じさせるなんて。
 繊細な人間の心には少し重荷では?
 太陽を飲めというようなものです。
 歪んだエゴでしょう。
 それが作品への過剰な期待を作り、
 その期待へのプレッシャーが
 過去500年芸術家たちを殺してきたんです。
 もしこれが事実なら――事実だと思いますが――問題は今後です。
 他に道はないでしょうか?
 創造性の謎と上手につきあうには昔の考え方にならえばいい?
 恐らく無理でしょう。
 500年に及ぶ合理的人文思想を消すのは18分のスピーチではね。
 恐らくこの会場にも科学的な正当性を疑う人がいるでしょう、妖精というアイデアに。
 彼らが作品に甘い蜜をかけるなんて?
 深入りはしませんが、提起したいのはここです、
 「いいじゃない?」
 「何がいけない?」
 と。
 今まで聞いたどの話より納得いきます。
 創作過程の意味不明な気まぐれが説明できます。
 何か作ろうとした人なら分かる
 つまり皆さんご存じのあの非合理な過程です。
 ときに超常現象とさえ感じられる。
 最近非凡な詩人ルースストーンに会いました。
 90を超えても現役の詩人です。
 彼女はバージニアの田舎で育ち畑仕事をしていたときに詩の到来を感じたそうです。
 太陽の彼方からやってくるのを。
 ものすごい一群の風のようなものが大地を超えて突進してくるのを
 地面の震動を感じて察したそうです。
 なすべきことはただ一つ、
 「がむしゃらに走る」こと。
 がむしゃらに家へ走り
 詩に追われながら
 素早く紙と鉛筆を手に取り
 詩が身体を通り抜ける時につかまえ書き留める。
 間に合わないときもありました。
 走って走って……間に合わず、身体から素早く抜けてしまった。
 彼女によると「恐らくそのまま次の詩人を探しに行った」と
 別の機会には、これは秀逸ですが、逃しそうなときがありました
 必死で走り
 紙を探し
 詩が身体を通り
 抜けようとした瞬間鉛筆を掴み
 もう一方の手を伸ばし、捕まえたそうです。
 詩の尻尾を掴み、身体の中に尻尾の方から取り込み、書き写していったんです。
 詩は完璧にできましたが
 すべて逆さまでした。
 それを聞いて思ったんです、「まさか」と。
 私のやり方とそっくりだったので。
 身体を通る部分じゃないですよ!
 私は頑固なので仕事は
 毎朝同じ時間に起き
 苦心してこつこつ書いています。
 そんな私でも出逢う瞬間があります。
 皆さんも経験あるでしょう。
 アイデアが降りてくるんです。
 どこからともなく。
 これは一体?
 取り乱さずにどう対処しましょう?
 正気を保ちながら?
 対処法の現代におけるお手本はミュージシャンのトムウェイツです。
 数年前の雑誌の取材で会い、この話をしました。
 彼の人生は典型的な苦悩する現代のアーティストでした。
 扱いにくい創作の衝動を制しようと苦心していました。
 内面の衝動を。
 歳をとり穏やかになり、
 ある日L.A.のフリーウェイを走っていてすべてが変わりました。
 飛ばしていたら突然 頭に曲の断片が聞こえてきた。
 捉え難くもどかしい閃きとして。
 たまりません。
 素晴らしくて待ち望んだ瞬間なのに紙も鉛筆もないんです。
 テープレコーダーもない。
 いつもの焦燥に駆られました。
 「これを逃して一生悩まされる。俺は駄目だ、無理だ」
 慌てる代わりに止めました。
 思考回路を止め、斬新な行動に出ました。
 空を見上げ、
 「なあ運転しているのが分からないのか?
  今曲が書けるとでも?
  書いてもらいたきゃ出直して来いよ。
  面倒見てやれるときに。
  でなけりゃ他をあたってくれ。
  レナードコーエンにでも」
 以降作曲の姿勢が変わったそうです。
 作風は変わりないですが、作曲の姿勢とそれに伴う不安は「ジーニアス」を出したら消えたのです。
 問題の元を本来の場所に返し、葛藤しなくてもよいと気付きました。
 奇妙で一風変わった共同作業です。
 彼と変わった外部のモノとの対話……、
 別モノとの対話です。
 この話を聞いて私も少し仕事の姿勢を変え助かったんです。
 あのベストセラーを執筆中、絶望に陥ったとき、
 頑張ってもうまくいかず、悲惨な結末を考え始めました。
 最悪になるわ、と。
 悪いどころか史上最悪!
 葬ろうかと思い始めたときにトムの話を思い出し、やってみました。
 原稿から顔を上げ、部屋の片隅に話しかけたんです。
 「ちょっと」
 と声に出して
 「仮にこの本がイマイチでも私一人の責任じゃないわよね?
  全力投球なのは分かるでしょ?
  これ以上は無理。
  よくしたければ役目を果たして。
  その気がないならいいわよ。
  私は自分の役目を果たすだけ。
  しっかり書いておいてね。
  私はやることをやったって。」
 だって、ごらんの通りじゃないですか?
 昔北アフリカの砂漠では月夜に歌と踊りの祭典がありました。
 明け方まで何時間も。
 見事なものです。
 プロの踊り手は素晴らしいです。
 たまにごく稀に踊り手が一線を越えることがある。
 何の話かおわかりですよね、
 そんな場面にであったことはありません?
 まるで時が止まり踊り手がある境界を抜ける。
 いつもの踊りと変わらないはずなのにすべてが符合し突然人間には見えなくなる。
 内から足下から輝き、神々しく燃え上がるんです。
 当時の人々はそんなとき、何が起きたのか察しその名を呼びます。
 両手を合わせて唱え始めます。
 「アラー、アラー、神よ、神よ。あれは神だ」
 歴史の本によるとムーア人は南スペイン侵攻時にその習慣も持ち込みました。
 長年かけて発音も変わり、「アラーアラー」から「オレーオレー」へ。
 今でも闘牛とフラメンコで耳にします。
 スペインでは演者の驚異的な動きに、
 「アラーオレー」
 「すごい! ブラボー!」
 神を垣間見るんです。
 素晴らしい。まさにこれです。
 ただし厄介なのは翌朝です。
 踊り手が目覚めると火曜の朝11時でもう神はいません。
 膝の悪い老いた人間が一人……。
 恐らくあの高みに再び上がることも、
 回転しても神の名を呼ぶ人もいない。
 残りの人生は? つらいことです。
 もっとも辛い現実です、
 創造的な人生上で……。
 いえ、そこまで酷くないかも
 もしはじめから非凡な才能が自分に備わっていたと信じなければ……。
 その力が借り物だと思い、
 謎の源から人生に添えられ、
 終えたら他へ行くものと思えば……。
 そう考えればすべて変わります。
 私もそう考え始め、この数ヶ月考え続けてきました。
 もうすぐ出る本を書いているあいだに……。
 危険なほど期待された最新作、
 異常な成功の次の作品です。
 自分に言い聞かせ続けました。
 のまれそうになったときに、
 恐れない、
 ひるまない、
 やることをやるだけ、
 結果を気にせず続けよ、と。
 踊るのが仕事なら踊るだけ。
 気まぐれな精霊が割り当てられ、
 あなたの努力に対し一瞬でも奇跡を見せてくれたら……「オレー」
 見せてくれずとも踊るだけ。
 それでも自分に「オレー」と。
 そう信じますし広めませんか。
 それでも「オレー」と。
 真の人間愛と不屈の精神を持ち続けることに対し。
 ありがとうございました。


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 引用終了


 車を運転しているとアイデアが降ってくる、という体験は創作好きの人なら誰でも身に覚えがあることと思います。私もしばしば素敵なアイデアのために「ジーニアス」には悪意を感じます、交通事故を起こさせたいのか、と。助手席にレポート用紙とシャーペンを用意してみても身体をすり抜けていこうとする「ジーニアス」を捕まえるのは一苦労です。というよりは捕獲に成功した試しがありません。
 就寝直前も似たようなものです。睡魔が本格的に襲ってくる前にアイデアはベッドの陰から顔を出します。心地よい眠りの誘いを退けて布団を抜け出しメモ帳にペンを走らせねばなりません。これを怠って翌日あるいは数日後に後悔するというパターンをもう何十回と繰り返しています。
 漫画『吼えろペン』にもありましたね、精霊がアイデアを提供してくれる話が。


 私は創作の最大の快楽は自分を超えるところにあると思っています。創作物を振り返ったとき、「本当にこれを僕が?」と舌を巻いて過去の自分を羨むとき、してやったりと思うのです*2。精霊の囁きはまさしく自分を超えた領域からの伝達です。その精霊たちは自己の背後に横たわる広大な海に棲んでいるのです。

*1:じっくり読んでもらってもいいですよ?

*2:同時に今の自分に深い失望を覚えるのですが……。ちなみに、過去の自分はこの程度かーっ、と身悶えして黒歴史化したがる人は基本的な鍛錬が圧倒的に足りていません。