入浴直後のエントリ投下

 食べることが億劫でしかたがないという体験はないだろうか。あるいは、食べることが億劫で仕方がなかった年代があったりはしなかっただろうか。
 生活に欠かせない行為を面倒くさがったり時間の無駄と捉える人は結構いるものと思う。若者ほどその傾向が強いだろう。
 従兄弟は大便なんて面倒くさくてしかたがないといっていた*1
 うちのオカンは今でも風呂にはいるのが面倒で「代わりに入ってきて」という。気持ちは分かるが、どう代われと……?
 しかしなるほど、風呂、こればっかりは後へ後へと送ってしまう行為の一つであることをやめられずにいる。
 私は毎日風呂に入っているが、そうしなければ不快感に苛まされると知っているから仕方なくやっているに過ぎない。
 仕事の疲労をさっぱり落としてくれる利点は重々承知している。汗で身体が痒いときは何をさしおいてでも風呂に入りたいと思う。しかし、もしそういった不快感を感じずにすむのだったら?
 私は毎日頭を洗っているが、理由は一つ、洗わなければ頭が痒くなるからだ。痒くなりさえしなければそんな面倒なことしなくてすむのだ。一日洗わなかったくらいで頭が臭くなることはないのだから、痒みだけが問題なのだ。
 ところで、身体の方は、一日洗わなかったくらいで痒くなったりしないのである。
 冬場なら一ヶ月洗わなくても支障ないのである。
 何ら支障ないのだ。
 誰も気付かない。
 自分自身、気付かない。前に身体を洗ったのは一週間前だったか、三ヶ月前だったか、思い出せない。思い出せないが多分二週間前にひょんな思いつきで洗ってしまったというようなことがあったはずだと自分に言い聞かせる。湯に浸かっているのだ、それだけで汚れは落ちる。
 夏場になると話は別だ。頭もさることながら陰毛が痒くて仕方がなくなる。それでも、要するに股間さえ洗えばいいのだ。ただ理性がついでに全身洗ってしまおうと催促するからつきあってやっているだけで、本音は別のところにある。


 一年は365日。
 私は何度身体を洗っているだろう。
 というか、みんな、身体を洗っているのだろうか*2
 とりえあず、今日は、頭しか洗っていない。

*1:従兄弟が嫌いな私はいってやりたい、このクソ野郎が、大便嘗めんな。

*2:決戦前は別として