ハウル、分かんなかったなあ。
ソーシャルブックマークの存在を知らなかった頃は、文章をいちいちコピペしてHDに保存していた。最近、たまにそれを読み返してブクマすることがある。今回は ハウルの動く城の謎についての分析と解釈 を振り返った。
宮崎アニメは解釈を視聴者に委ねるというか、説明をすっぽかすところがあって、(といっても最新作のポニョは見ていないので偉そうに語ることはできないのだが)、ハウルもよく分からなかった場面や設定が散見できた。さすがに消化不良で胃もたれ気味だったが上記のサイトのおかげですっきりとした。
とりあえず、主人公のソフィーが魔法を使えるということを知っていなければ腑に落ちない場面が多すぎる。《元気でね。》とか、《カルシファーが千年も生き、ハウルが、心をとりもどしますように。》といった肯定的な言葉が呪文として働き、生命を吹き込む魔法となるだなんて、どうやって分かれというのか。不可思議な場面は多いが、それがソフィーは魔法が使えることをそれとなく示していることにはなっていない。
ソフィーがときおり若返ったりする場面などは解釈に困る最たる場面なのだが、これも要するにソフィーの意思次第であり、もはや荒れ地の魔女にかけられた呪いなんかではなくなっているのだ。これに関しては劇中でソフィーが意図的に若さを操っているようなところはあったけれども、やっぱり、分かれというのは無理な注文だ。
もちろん宮崎駿は、分かれなどと注文しちゃいないのだが……。(そんなこといったって、胃もたれさせられるために宮崎アニメ見たわけじゃないのだから!)
「人間なんて気持ち次第で同じ人が90歳のおばあちゃんになったり、ある時は50代のおばちゃんになったりする。そういうことで言うと、ソフィーも気分によっては少女になるってあるんじゃない?」(宮崎監督の言葉:ロマンアルバム鈴木プロデューサーインタビューよ り抜粋)
自分の気持ちしだいで自分は変われるのだということ。
このことを強調したいために、映画ではソフィーの気持ち次第で少女になったり老婆になったりするという、小説にはない表現が加わるとと もに、ソフィーの魔法使いとしての能力の説明はなくなりました。
女性が可愛いか可愛くないかだけで判断されるのはおかしい。
宮崎監督も還暦を迎え、「もし若さだけに人間の価値があるとしたら、歳をとったら意味がないのか?」ということは大きなテーマだっ
た。
女性スタッフ達への感謝の気持ちも込めて、「歳をとった女性にも魅力はあるよ」というものを作りたかった
という考えの元、映画では、ソフィーは気持ち次第で若くなったり歳をとったりする表現に落ち着いたそうです。(ロマンアルバム:鈴木
プロデューサーインタビューより)
いいたいことは分かるが……。
しかし、胃もたれの心配がなくなると安心して再び見れるというもの。
地上波で見たときは十分楽しめた。
三度目は夜勤の夜だった。休憩時間に中国人がハウルを見ていた。彼らは日本語を話せたが「魔女」は通じず、不思議な力を使うとしか教えられなかった。荒れ地の魔女が出てきたときはみんなでギャアと悲鳴を上げるし、黒子のような人形を操ると、やっぱりギャアと悲鳴が上がった。そこで驚いてしまうのか、とこっちが驚かされたが、アニメやゲームの世界観に染まっていない場合の普通のリアクションなのかもしれない。
なにはともあれ、アニメは凄いと思った。