英語が私にもたらしたもの

はじめに (ああ私はなぜいつもはじめられないのか)

 ネット環境には非コミュという言葉があります。何度聞いても(目にしても)あんまりいい気がしません。どう考えたってサイコミュ兵器の親戚かと思います。そしたら思考は私の制動力を振り切って妄想に走ってしまいます。「ファンネルを考え出したトミーノはイダーイだよ、しかしファンネルどうやって動かしてるのかな、思念で動かすのがサイコミュゆうたかてファンネルの位置や角度が全部把握できるんやろか、人間の脳が処理できるコマは限られてるのに――て、それこなせるのがニュータイプってことなのか便利人間め、でもやっぱり有線のジオングだよねキワモノサイコー、サイコー、サイコミュー、ぴゅきゅーん、非コミュてなによ、サイコミュ操れない人のことなのかしらん、オールドタイプのわたくしめのことですか?」 だからさ、思うんだ、「口べた」っていえばいいじゃん、非コミュって言葉で縛らないで。
 とかはどうでもいいのだけど。

英語できにゃーの 理由その1

 英語ができない最大の理由は私が口べただからなんですよ!
 だってぶっちゃけ、その問い、日本語で尋ねられても即答できない。
 昨日の天気はどうでしたか? そう尋ねられたら私は思い出せない。思い出せない、と答えることもまた思いつかない。それがKUTIBETA。
 あなたは前の休日、何をしていましたか? だから思い出せないんだよ、なぜって、物語を書いていたに違いないし、それ以外に重大なことはなにもなかったのだから。あ、あいむ、くりえいと、すとーりー? 違うか、でぃすくれいぶ……だっけ、描写というのは? とにかく、そんなこと、英語の講義で答えるような内容ではない。日本語でだって他言しちゃいないのに、なんでまた英語なんぞで! そうなると休日の体験は何が残る? とりあえず今日は車の一年点検にいってきた。しかしどうだ、これ、英語にできるのか? できない、となれば沈黙するしかない私。哀れ。情けねぇなぁ。
 そこは英語の授業だから、簡単な英語による嘘をつけばよいのだ、と知ったのは大学に入ってから。あい、りぃーど、ぶっく。おいおい、過去形にしろよ、休日に、も付け加えろよ。

英語ができにゃーの 理由その2

 聞き取れないのだわさ。
 それはね、日本語でも同じ。私、日本語だって聞き取れません、出だしは。それは他の人にも見られる傾向。職場の雑音の中、自分の声を通すには、ただ明確に喋ればよいというものでもない。「ちょっといいですか」「あのですね」「ここなんですけど」と、前に何か一言入れて相手の気を引いてから(相手の耳を準備させてから)本題に入る。私はそうしているし、私に対してもそうしてもらいたいと思っている。
 ところがトイック(アルファベットで表記なんかしてやるもんか!)なんてどうよ、ストイックなわたくしめもブチギレそうな苦難ですよ。ちゃんと聞き取れるんですよ、ワットとかフェアーとかフェンとか以外はちゃんとね。でもいくつかの選択肢の中から回答を選ぶためにはどうしてもはじめの一語が必要になっているんですよ。だから私のトイックの得点は恥ずかしながらリスニング問題を当てずっぽうで回答した友人よりも低かったのですよ。
 繰り返しいいますけどね、日本語だって喋りはじめは聞き取れない私です。英語なんて聞き取れませんよ(聞き取れるんですよ、出だし以外は)。この前の健康診断で聴覚は異常なしだったのに、なんでだ。

日本語文法

 そんな私にとって、中学、高校、大学と続いた四年間の英語学習は何をもたらしてくれただろうか。何ももたらしてはくれなかったのか。いんや、雀の涙くらいの量的価値はあった。その質的価値については、人生は長いのだからまだ結論づけないでおくとしよう(推してはかるべし)。
 中学一年生のときに英語の授業が始まったわけですが、日本語の文法についてもこのときはじめて授業を受けました。私にはなにやらフィクショナルな存在でした、日本語。主語も動詞もちんぷんかんぷん。主語なるものは「私は」とからしい。「は」の前のものが主語らしい。わからん。
 活用とは何か、答えなさいと国語教師はいった。職場結婚で僕たちの眼前にて姓を変えた女教師はチュウガクセイなる獣を律するに足る鋭い眼光を持っていた。当てられた生徒は答えられない。当てられていなかった私――僕も答えられない。うつむき、解説が一体となった問題用紙をめくる。答えが明らかとなる。らる、られ、とかいうあれ、あれが活用、そう、習った気がする。僕はそのときはじめて活用を認知した。はじめに学んだときはいったいどう認識したのやら。真面目に授業を受ける生徒だった僕がそのようなていたらくだったのは、やっぱりそれほどに文法というものがフィクショナルだったからだ。
 結局、私が動詞にSがついたりつかなかったりするあの現象が日本語文法の動詞の活用と同類であるということを知ったのは、いったいいつの日だったのか。思い出せないが、それを意識した当時の感想は覚えている。「日本語の方が万倍難しいじゃねえか……」でも今も英語を喋られない。

英語文法

 英語は常に私を困惑させた。主に試験の点数の低さによって。私が熱心な生徒であったことは私自身がよく知っている。一週間に百の単語を覚えなければ満点を取れない小テストが一週間ごとに必ず出た高校二年生の英語の授業。我がクラスで満点を取れていたのは二名(はい! うち一人は僕! 僕です!)。しかも十数回連続だ。これが途切れたときのショックといったら。思い出しただけでもイタイぜ畜生。英単語だけはそれなりに覚えていた私。それでも英語は喋られず。
 浪人生になって予備校で精読を学んだとき、英語は少しずつ語学としての面白味を顕わにした。主語、主語が来た次は動詞、知っている、中学生で習ったこと、で、活用、主語がこれだから動詞はこれ、あるいは動詞がこれだから主語はこれ、次に副詞とか。英文は単語語に解体され、文法的なつながりというアウラを帯びていた(日本語的にオーラというべきだろうか。否、ちょっと格好良くアウラと発音したところでこれは日本語だ。ここでアウラを選択した意味は便宜上、HUNTER×HUNTERのオーラ=念能力と区別するためとしよう)。
 思うに、中学一年生の一年間しか学ばなかった日本語文法の授業よりも、十年間の英語文法の修練の方が私に日本語の文法を教えてくれた。英語は常に私にとって自明であった(=フィクションのようであった)日本語を指で指し示す存在だった。
 要するに、私は英語から英語を学ぶことはできなかったが語学を学ぶことはできた(というと大袈裟で、語学の存在を認知できた、という程度か)。

結論

 いや、結論なんてないのよ、英語に負けた男keiseiryoku、敢えて結論を言うとすればそれだけのこと。ただ、まあ、おかげで大学のドイツ語は学ぶ前の心構えができていたし、楽しめた(喋られんけどね。イッヒ・ハーベ・フンガー、イッヒ・ハーベ・アイネン・ブーフ、これくらいか、あとグーテン・モルゲン、グーテン・ターク。よろし? ヤー。)。ただ、私が英語を不得手とする理由をいうなら、英語だけができないんじゃなくて外国語ができないということ。古典だってズタボロ。そんなわたくしめの夢は、日本語を自家薬籠中のものとしたいというささやかなことなのですよ。
 そんなことよりも、あなたにとっては、非コミュは非サイコミュとは無関係であることや口べたと表現する慎ましやかな誇りを取り戻すことの方がよっぽど大事であるということなんですよ。

 ――まあ、私にミハルがいてくれれば、カイさんのように(さんを付けずにいられない)俺はやるぜ、徹底的にな、と宣言できたのかもしれないが。