続・シンプルでセンスの良いタグ一覧(嘘)

 先週あたりにタグについてつらつらと書いたが、あれはインフルエンザのため頭がおかしかったに違いない。
 おかしくなった頭が些細な不快感を絶望的な問題と勘違いしたのだ。内容が重複するタグに対するストレスが病のために肥大化して見えたのだ。

 私は「社会」タグと「知識」タグを使っていた。前者は社会に関する某かの記事につけられるタグであり、後者は社会の中で実践的に役立つ(五日私自身が実際的に世話になるかも知れない)知識につけられるタグだ。年金問題なら「社会」タグがつくし、年金の支払い免除の規定などがあればそれには「知識」タグをつけられる。
 しかしこの二つは範囲があまりに重複しすぎていて、私の潔癖的な部分が拒否反応を起こす。一つのタグに統一しちゃいなよ、と。しかしそれをするとまた気持ちが悪くなってくる。整理が不十分な気になる。

 二つのタグのニュアンスは異なるのだが、範囲だけでいえば重複必至なのだ。これがすこぶる気持ち悪い。
 社会⊃知識
 この関係は常に成り立ってしまう。
 そこで私は大きなタグと小さなタグという考え方を持ち出した。これが意外にも事態をすっきりとさせてくれた。大きなタグに必ず内包されてしまう小さなタグには頭に「−」をふることにした。

 ディレクトリの概念そのままなのだが、すっかり気に入ってしまって、小さな分類のためにしばしば用いている。