三男のためのバカの壁のバカな文章


 弟の夏休みの宿題を手伝ってやったことがあった。そのときのデータを発掘したのでここに記載する。

  『バカの壁』を読んで*1
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 『バカの壁』はベストセラーになった本です。でもセカチューに負けた! とても読みやすい文章だったので、これが原因でたくさんの人に読まれたのだと思います。野球選手のイチローやサッカー選手の中田を話に持ち出したりしていたので、とても分かりやすかったです。
 僕は個性と聞くと、ある人の特徴で、生まれつきや、育った環境によって決定するものと思っています。そして、性格が個性に関係していると思っていました。しかし、この本の著者は、個性というものは精神的なものよりもむしろ身体的なものだと言っています。個性は身体に宿るのだそうです。なるほど、イチローや中田は誰も真似できないプレーをするので、とても個性的です。範馬勇次郎なんかめっちゃ個性的です。背中が鬼です。でも性格も個性に関係していると思います。性格の個性と身体の個性を合わせたものが、その人の個性だと思います。なぜなら、さっきも述べましたが個性は環境からできるものだと思います。性格も身体もどちらも環境の影響を受けるはずだからです。量産型のドラえもんだって同じボディだろうけどそれぞれのドラえもんで異なるだろうよ! この本では文武両道についても語っています。僕は部活と勉強の両立が難しいと思うし、頭はいいけどスポーツは駄目な人、その逆の人がいるので、文武両道なんて、ちょっと実現できないと思っています。出来過ぎだから出来杉って言うんだぜ! でもここで著者が言っているのは僕が考えていた文武両道と違っていて、頭を使うことと身体を使うことは同じ事だと言うことです。正確には、両方のことをやって初めて意味があると言うことです。教科書を覚えたりすることは「入力」をしていることで、頭を使うだけで、「出力」は入力したことを発揮することで、これは身体を使うことです(=情報を頭に入力するだけでなく、身体を使って情報を出力するべきである)。知識を蓄えるだけではまるでいみがないというのは僕も賛成です。じゃなきゃ俺達はコンピューターに負ける! 学校で勉強していることが本当に役に立つのかどうか分からないと勉強する気にもなれません。大切なのは勉強したことで自分が変わることです。自分の反応が変わることです。勉強だけが学習ではないということに気づきました。
 入力、出力することを繰り返すことが学習だと分かりました。しかし、関心のないことをいくら入力しても行動に影響が出ないということもあります。人の関心は、好き嫌いと同じで人それぞれで、星の数ほどあると思いますし、それこそ個性なので、仕方がないことだと思います。僕も「勉強しなさい」と親に言われても、「うるさいなあ」「勉強せななあ」と思いますが、勉強に関心がないので、勉強へ行動が移せません。でも勉強への関心が無限大ではなくてよかったと思います。勉強ばっかりしている自分を想像しても、それが苦しくなくて楽しいことだと感じているのだとしても、今の自分のままが良いと思います。僕はここにいても良いんだ……。 好き嫌いは人それぞれだから仕方がないと思いますが、そのために喧嘩が起きて、戦争にまで発展するのはバカバカしいと思います。戦争なんてクソだッ! 僕は戦争の原因は宗教のせいだと思っています。僕の家は一応仏教ですが僕は宗教に関心なんてありません。宗教は神様をあがめることにばかり執心するので、肝心の人類の幸せをないがしろにしてしまっていると思います。もっと正しく言うと、宗教が悪いと言うより、信仰が悪いのだと思います。信仰にばかり意識が向きすぎて本当に大切なことに気が付かないのです。戦争なんて下らねえぜッ! 俺の歌を聴けぇええッ! 心の中で思ったり、神様に祈ったりするよりも、実際に何か行動を起こさなくては何も起きないのは当たり前です。俺達には立派な脚が二本ついてんだぜぇえええッ! 自分で立って歩けるんだコノヤローッ! それから、宗教には真理というものがあります。たった一つだけ、これだけが正しい真実だというものです。“あっち”に腕をもていかれちゃうぜ! これも僕はおかしいと思います。この世に絶対に正しいものなんてきっとないはずです。自分が正しいと思い込むから争いは起きるのです。それが人の業というものだ! 『バカの壁』を読んで最も考えさせられたことは、「考えること」でした。人生の意味について考えることも非常に重要とありました。僕は自分が生まれてきたことに何か意味があるとは思えません。意味のないことの繰り返しだと思います。でも、死にたいとは思いません。生きる方が戦いだ! すると本当は人生に意味があるのかも知れません。僕はテレビを見たり、漫画を読んだり、アニメを見たり、ゲームをすることを楽しんでいます。お母ぁああさん! 見るよッ! 俺も見るんだよーッ! 『ジョジョの奇妙な冒険』は俺なんだ! 俺と同じなんだッ! お母さん! 俺に見るななんて命令しないでくれぇええッ! そういった単純な日常が十分幸せなもの、十分意味を含んだものなのではないかと思います。少なくとも、人生は無意味だから何をしても良いのだと言って、悪に走るのは間違っています。悪に走ろうとするのは考えることを放棄することです。意味を求めているのだと無自覚になり続けることです。
 僕は考えることの重要性をこの本から学びました。この本の内容にはほとんど賛成です。しかし、納得できない部分や、賛成できない部分もあります。例えば、人生の意味について、本当は考えたりしない方が良いのだと思うのです。犬や猫は自分が生まれてきた理由も何も考えていないでしょう。でも直接聞くことはできませんが彼らは人生を肯定しているはずです。それともチョッパーに聞くか? 生まれながらに人生を肯定して生きていく道もあると思います。


 中学生だった弟はこれを活用して(というか丸写しにしたそうだが)提出し、学校から非常に高い評価を受けたとか受けなかったとか。



 なんにしろ読書感想文は学生の悩みの種。現役の学生のなにがしかの参考になればと思う。

*1:太文字部分は、読書感想文を書いていた当時に文章を弾ませるため独白のごとく書き、清書の段階で削除した部分です。