チョキグリ


 茨城のペットショップではしょっちゅう喧嘩ばかりしていたインコのチョキちゃんとグリちゃんも、お客さんに買われて東京へ越してきたとき、ここには自分たちふたりしかいないのだ、ふたりで寄り添って生きていくしかないのだと観念したのか、仲良くなった。
 そして飼い主が諸事情でふたりを手元に置いていられなくなると、飼い主の実家である大阪へ引っ越してきた。



 チョキちゃんは胸元にV字の模様があるからチョキちゃんと呼ばれている。ちょっぴり臆病な性格で、なににつけても警戒心が強い。
 グリちゃんはおめめがぐりっと特徴的だからグリちゃんと呼ばれている。好奇心旺盛で、気まぐれで、わがままで、悪戯っ子だ。
 ふたりともどういうわけかにんげんの女よりも男に懐きやすい。



 ぼくはふたりと距離を置いていたけれど、弟がグリちゃんの頭を撫でているのを見て、どれ自分も触ってみようかという気になった。そっと指をかざして近づけていくと、グリちゃんは嘴で攻撃してくる。たまに頭を差し出してくるので、そのときを待って撫でにいくと受け入れてくれる。しかし長くは続かない。噛みついて拒んでくる。チョキちゃんに至っては近付いただけで逃げてしまう。止まり木に片足でのっかっていたのに、ケージの中へ引っ込んでしまう。



 ふたりとも、ケージの中を動き回る様は虫のようだ。左右の爪と嘴を駆使する様は三本脚の生き物を連想させる。動作の緩急も昆虫のそれに近い。かさかさという擬音がしっくりくる。
 虫らしからぬ動作も多い。止まり木にのって身体を左右に揺すったり、ケージの天井にぶら下がって逆立ちで身体をくねらせたりする動きは特に滑らかだ。チョキちゃんは毎朝、エグザイルのチューチュートレインさながら、弧を描いて何かしらのアピールをしてくる。



 オハヨー! イッテキマスカー? グリチャンカワイイ!
 快活な言葉を飛ばすが、当然ながら言語での意思疎通はまず不可能である。



 ある日のことだった。
 グリちゃんが頭を垂れてお触りを催促してこないかと期待しつつケージの前に腰を下ろすと、チョキちゃんがケージの奥からでてきた。足場の最先端まで出てきて、僕をじっと見つめている。頭を下げているように見える。臆病なチョキちゃんが積極的になるとは思ってもみなかったので、よもやの出来事が起きていることになかなか気づけなかった。明確に撫でてもらいたがっているのだと気づいてからは、驚き半分、嬉しさ半分で指先を伸ばした。はじめてチョキちゃんの頭に触れた。グリちゃんのときと同じで、撫で始めてからしばらくは大人しくしているが、やがて首をかしげていって、不意に指に噛みついてくる。嘴で挟まれるとそこそこ痛い。幾度かトライしてみたが、撫で終わり方が釈然としない。いつも嘴の攻撃に遭って身を引くこととなる。目を見ていれば攻撃してくる兆しが読み取れるので、先に手を引っ込めて回避する。しかし、そうするとまた撫でてもらいたそうに頭を振ってくる。撫でにいくと嘴で迎撃される。このコは何を求めているのだろう。さっぱり分からなかった。それでも懐いてくれたのは確かだった。



 その日以来、ぼくはチョキちゃんの様子をそれとなく気にかけるようになった。チョキちゃんは時折奇声を発することがあって、トリ公がまた喚いておるわ、電動ひげそりの稼働音に反応しておるわ、と受け流していたが、ぼくがケージから遠く離れるときにも鳴いていることに気づいた。まさか、という気分だった。ぼくを呼び止めているのだ。いかないでくれ、こっちへきてくれ、と。
 一体全体、どういうわけで好かれたのか、さっぱり分からない。心当たりは何もない。エサをやるのはぼくじゃない。ケージの掃除をするのもぼくじゃない。ぼくは何一つチョキちゃんの身の回りの世話をしていない。ずっと距離を置いてきた。ところがチョキちゃんはぼくを呼ぶ。ケージを開けると、限界まで身を乗り出してきて、首を振ってアピールする。
 チョキちゃんの好意を知ってからというもの、毎日構ってやることにした。頭を撫でると気持ちよさそうにピッと鳴くことがあって、とても可愛い。しかし撫で終わりは嘴で噛まれるのである。やがて撫でて欲しいのかどうかよく分からなくなっていった。撫でてもすぐに迎撃されるようになった。新しい撫で方を試したり、撫でる以外の構い方を考えてみた。話しかけたり、歌ってみたり、爪で嘴をつついてみたり。つつくのはよくなかった。ゆっくりと噛みついてきた。ゆっくりだから攻撃ではないと見なしたら、しっかり強く噛んできて痛い思いをした。
 グーグル先生にインコの仕草の意味を尋ねて、勉強もした。頭を差し出してきたり、頭を振ったりするのは構って欲しいというサインだ。口元をふがふがさせて舌をちょろちょろ出すのは、エサを求めているのではなくて、好意を示すサインだ。歯ぎしりのような音を出すのは寝るための準備らしい。身体を嘴で掻くのは休憩を意味していて、爪で掻くのは痒いときか、そうでないなら撫でて欲しいのサインだ。
 撫でてもすぐに噛みついてくるときがある。しかしすぐにまた撫でて欲しそうなサインを出してくる。撫で方が悪いのか、撫でる角度が悪いのか、試行錯誤を繰り返すうち、ぼくらはひとつの確実な方法に辿り着いた。チョキちゃんが自分の身体を爪でかき始めたとき、お触りのサインを越えて、掻き方や掻くべきポイントのレクチャをしているように見えた。チョキちゃんが自分で自分を掻いている最中にぼくもまた指先で同じ場所を撫でにいった。チョキちゃんが爪の位置を少しずつ変えていく。目元付近へ寄っていく。ほとんど目を掻いているような位置だ。僕の指先はかなりシビアな要求を受けていた。人間でいう目と眉の間。あるいは目と嘴の間。ごく限られたスポットを指の腹で擦る。チョキちゃんは嘴を上下に震わせながら舌をちょろちょろと出す。長い爪を持つ細長い足指を噛みながら、目を細め、恍惚とする。いわゆるアヘ顔にしか見えない。
 それ以来、チョキちゃんは本当に撫でてもらいたいときはポイントを自主的に指定してくるようになった。この撫で方の終わりはチョキちゃんが一通り満足したとき、自然に終わる。噛みつかれることがなくなったし、噛みつかれるときも、初期と比べればずっとやんわりしている。



 グリちゃんのぼくに対する好意に変化はない。気まぐれで触らせてくれるだけだ。だが、グリちゃんは好奇心旺盛だし、欲深くもある。ぼくがチョキちゃんに構っているとチョキちゃんをつついて追い払い、ぼくを独占しようとするようになってしまった。
 グリちゃんは小柄だ。小鳥のペットのうちでも小さい部類に入る。チョキちゃんはそれなりに大きい。こいつに噛みつかれるのはちょっとまずいと分かる大きさだ。それほど図体に差があるのに、力関係は見た目とは逆で、グリちゃんの方が強い。チョキちゃんは臆病で、グリちゃんから攻撃を受けると逃げの一手を打つ。ふたりが喧嘩しはじめると、トムとジェリーの追いかけっこの再現になる。最終的に、助けに入った誰かの肩へとチョキちゃんが飛びついて追いかけっこが終わる。
 グリちゃんはぼくを特別好いているわけでもなんでもないのに、チョキちゃんがちやほやされているのが我慢ならず、自分こそ構ってもらう対象にふさわしいとばかり前に出てくる。そして、こいつはチョキちゃんのように掻くポイントを指定せず、チョキ公にやっていたんだから要領は分かっているだろう? と暗に訴え、同じところを撫でさせてくる。気に入らないやり方だったり、飽きたりしたら、すぐに嘴で攻撃してくる。そしてチョキちゃんのケージに入り、チョキちゃん用の大きめのエサを食いあさり、チョキちゃんの水桶を使って全身水浴びをし、チョキちゃんのケージの止まり木にとまって景色を楽しむ。その間、チョキちゃんはケージの奥で、この野郎、この野郎と牽制するふうな動作をしているが、何とも空しい。



 こうしてふたりはぼくをとりあって喧嘩するようになってしまった。
 ぼくさえいなければ仲良くしている。
 ぼくの存在は薬なのか毒なのか、悩ましいところである。