近代リアリズムの変質について

 中村光夫『風俗小説論』エントリ第2回。
 

風俗小説論 (講談社文芸文庫)
中村 光夫
講談社
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西欧と日本の自然主義文学比較

 西欧文学史で近代自然主義が台頭していた時代、日本の文学界はまだその域に達しておらず、自然主義文学の概念を西欧から輸入した。ところが、正しく理解して西欧と同じような運用ができていたかといえば、そうではない。西欧の自然主義文学の一側面しか認識できていなかった日本の文壇は、その浅い理解から私小説という日本特有の小説形式こそ自然主義文学を具現できる手法であると見なし、これを発展させていった。
 西欧と日本、それぞれの自然主義文学の差異を下表にまとめた。無論、意識的に対比させているが、それにしても見事に正反対の特徴を獲得するに至っている。*1


 まとめの表が出てしまったので、以下は蛇足(笑)
 

ゾライズム

 本来の自然主義、すなわち日本のではなく、西欧の自然主義、西欧のリアリズム。
 とは、なんぞや?
 ――むしろ私が人から教わりたいぐらいですが。
 さらっとネットを見渡した限りでは得心がいかなかったので、自分用にまとめました。

 自然主義の嚆矢といえばフランスの小説家、エミール=ゾラです。
 グーグル検索やwikipediaを使ってみましたが、詳細ではなく、しこりが残りました。最終的には我が神、国語便覧を活用すると、それなりにすっきりしました。

南フランス出身。始めロマン派にあこがれ創作を始めた。やがて、当時の文学的潮流に影響を受け、写実主義に移行するが、それに科学的実証主義の方法を取り入れた自然主義を提唱した。

 ▲浜島書店『最新国語便覧』 P293

 ゾラは、浪漫主義→写実主義自然主義 とこのように三つの主義を渡り歩いた作家です*2。これで海外において文学形式がどのような変遷を遂げたかが一発で掴めました。有り難いですね。*3
 
 それでは、引用にある「科学的実証主義の方法」とは何でしょうか。

チャールズ・ダーウィンの進化論やクロード・ベルナール著『実験医学序説』の影響を受け、実験的展開を持つ小説のなかに、自然とその法則の作用、遺伝と社会環境の因果律の影響下にある人間を描き見出そうとする。

 ▲Wikipedia 自然主義文学より

 ううん……。方法論として具体的のようだが、どことなくトンデモ臭がする……。*4
 ここは今一度、国語便覧を参照します。

 十九世紀後半、フランスを中心として西欧に興った自然主義は、実証精神に立ち、空想や美化を捨て、現実と人間をあるがままに描く文学態度を唱え、ゾラは人間と社会の真相を観察分析によって捉えることを提唱した。

 ▲浜島書店『最新国語便覧』 P170
 

西欧の自然主義文学

 中村光夫の『風俗小説論』にて西欧の自然主義が説かれている箇所を引用する。
 ちなみに中村光夫フローベールの研究家としても知られている。*5

 p105

 西欧自然主義のリアリズムは、小説を実生活から離れた仮構の世界とする明瞭な意識から出発して、この仮構の世界に「事実」または「事実らしさ」(すなわち「蓋然的な一般性」)をつくりあげるための技術であり、それを根本において支えるものは、作者の人生に対する「思想と判断力」であったのです。「詩は幾何学と同じように正確なものだ」というフローベールの言葉は、その点から見て意味深いのです。
 フローベールもゾラも「ありもしないこと」を書いた点では、全く同じなので、ボヴァリー夫人は、方法に帰納と演繹の差はあっても、実在の女性達に対しては、あたかも幾何学の図形が自然界の事物に対すると同様に、抽象的なつくりものであり、その一般的な真実性は、ただ作者の想像力の「正確さ」に負うているのです。

 p150

 リアリズムがその本来の発生地においては、まず他人を描くための手法であり、それが他人と社会を描いて過たなかったのは、強い一般性を持つ思想の支えがあったためであるのは、すでに僕等の見たところです。

 p151

 西欧のリアリズムがその客観性の支えを理性と思想に求めたのは、何もそれが「ヨーロッパ」だからという特殊な地方性にもとづくものでなく、それが解釈や判断という人間の行為に必然の前提だからです。ゾラが人間を「体質」を通じて描いたというのは、それが「科学」を背景とした彼の思想であったからです。

曲解された自然主義

 西欧版は今見たとおりです。
 続いて日本版の自然主義です。

 西欧の自然主義は「思想(自然科学など)と判断力」に基づくことで「リアリティ(蓋然的な一般性)」のある虚構を描いたわけですが――
 p105

 ところが「作者の生活すなわち自然」という概念から、小説の仮構性そのものを否定した我国の自然派作家に、「写実」の背面にあるこのような思想的力技が無視されたのは当然で、リアリズムは彼等にとってただ「あるものをあるがままに描く」外面的技術ととられたのです。

 p106

ボヴァリー夫人」の真実性は、作者がこれを書き終わったときはじめて成立するに反して、「生」や「家」や「黴」の「真実性」はいわば書かれる前から決定されています。何故ならそれは「事実」であり、「事実」であるからこそ作者もそれに筆をつけたからです。
 このように「真実性」をあらかじめ「事実」によって支えられたリアリズムの技法が、それが本来必要とした「思想や判断力」から解放されるにつれて、もっぱら作家の感性の世界における印象の羅列に変じて行き、そのようなものとしてはいくらでも精密化され、細緻になりうるのは見易い道理で、事実我国における小説技法の発達は専らこの方法に向かい、その範囲では驚くべき進歩を遂げたことは、大正時代の私小説を読み返すものの誰しも認めるところでしょう。「個人個人の持っている細かい深い鳥渡名状せられない……空気というようなもの」と花袋は云いますが、このような感性の微妙なもつれと、こまかな陰影の描写にかけては、我国の近代小説はどの国のそれに比べても劣らぬ見事な独自の技術を開拓したのです。
 私小説がその多くの欠陥にかかわらず、数十年にわたって、我が国の文学の主流をなし得たのは、そのためと思われますが、しかし問題はこのような我国の近代小説のほとんど唯一の長所が、どのような代償を払ってられたかということです。

 どのような代償を支払ったのか。それは小説を書く上で必須だったはずの思想性であり、小説の虚構性であり、ひいては小説特有の面白さが犠牲となったのです。
 「生きた人生の再現」を書くのではなく、「生き得たはずの人生の再現」を書くのが、本来の近代小説のあり方だったはずなのですが……。

心境小説とは

 私小説が作家個人の感性の世界を描くことに腐心するのであれば、その真髄は作家の内面を描ききることにある、ということでしょう。そのような私小説の特性に意識的である小説を心境小説と呼ぶ。――というのが私の認識です。

 それはさておき、中村武羅夫の言葉によると、心境小説というのは――
 P75

「心境小説というのは……作者がじかに作品の上に出てくる小説である。作品の上で作者が直接ものを云うことが作になったような小説である。書かれてあることよりも、誰が書いたかということの方に、主として意識の力点が置かれて居るような小説である」

 「誰が書いたか」が重視されるということは、内輪話になりがちということ。必然的に、極まれば極まるほど読者層は狭まる。(楽しんで読んでいる人にしても、小説的な意味での面白味を期待しているわけではないだろう)。中村光夫も次のように述べています。

 P77

 これは作者即作中人物という定式から必然に導き出されることで、私小説の成長の過程はこの奇妙な通念の普遍化乃至固定化の歴史であったと云えます。
 藤村が「新生」を新聞に連載したとき、主人公の姪との恋愛関係が暴露されると、花袋が「島村君は自殺するのではないか」と心配したという挿話が伝えられていますが、これなどは当時、小説がいかに「小説」として読まれていなかったの例証になりましょう。

 「作者 = 作中人物」の定式が成り立つ作品があってもいいけれど、この定式がすべての小説に適応されるべきとされた時代が、日本の私小説隆盛時代であり、その滑稽さは、引用後半部の通りといえましょう。《花袋が「島村君は自殺するのではないか」と心配した》には失笑してしまいました。
 当人らが《俗衆をまったく黙殺して自己の信ずる道を邁進する前衛芸術家の真摯な意気込み》で《人生を安易に割り切った因襲的な解決などに満足することなく、一切の偏見を去って自己の生活の正直な凝視から、「事実」の率直な検証から、始めようとする、消極的ではあっても一種頑なな理想主義》にあったことは分かるのですが、現代に生きる身としては、小説って、そんなものじゃあ、ないだろう、と思うのです。
(西欧びいきすぎるでしょうか?)

*1:後のヌーヴォーロマンのときもそうでしたが、日本が海外の文学運動を模倣しようとすると、表面ばかりに目を囚われ、根本を外してしまうようですね。思想なんてのは然るべき土台の上に生まれるものですから、土台抜きに模倣しきれるはずがない、ということでしょうか。

*2:Wikipediaによると、晩年は空想的社会主義に傾いたとある。

*3:日本では別路線の発展を遂げるので要注意。

*4:実際、行き過ぎていた感はあるようです。

*5:フローベール写実主義だと思うのだが、これも西欧自然主義に含まれるのだろうか? この辺りは勉強不足。(いや、この辺りも、というべきか。)