子供を笑顔にする魔法の言葉

登場人物
 ミスリィー 19歳
 レイラ   8歳
 
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「ねえ、ミスリィー、ミスリィー」
 部屋に駆け込んで来たレイラは、ただいまをさしおいて執拗にミスリィーの注意を引いた。
「外から帰ってきたなら手を洗いなさいよ」
「うん!」
 レイラは流し台で手を洗いながらも喋るのを止めなかった。「あのね、どうしてウンコには緑色のと、黄色いのと、茶色いのがあるか、知ってる?」
「……知らないわ」
 真面目に取り合うのも面倒くさかったミスリィーは聞き流しの態勢に入っていた。
「えっ、知らないの? あちゃー」
 えっ、と大袈裟に驚いて口元に手を当てたり、その手を額に移してはアチャーと呟いて首を横に振る。恐らく、嘲笑的な仕草として最近 子供達の間で流行っているのだろう。少し前までは目を必要以上に見開いて頓狂な声で驚きながら顔を横に振る(振るというか、震えさせる)仕草が流行っていたのだが、それは廃れたらしい。
 レイラは額を叩いてアチャーを三度も行ったが、まだ足りないのか肩や肘を叩いてアチャーと呟く。果ては膝を叩き、アチャー、である。(子供の考えることはよく分からないわ。)
「えっ、ミスリィー、本当に知らないの?」
 と、くどくも念を押した後、レイラは胸を反り返らせて、いよいよ一席ぶちはじめた。「緑色のウンコと、黄色いウンコと、茶色いウンコがあるのは」
 そこでタメを作りながら目配せしてくるので、ミスリィーは合いの手をうつ。「あるのは?」
「それはオナラの精霊が色を付けるからなの」
「へえ」
 と、これはミスリィーのいつもの相づちだったが、図らずも屁をかけた駄洒落となってしまい、レイラがこれに気付いてけらけらと笑い出した。
 ミスリィーが無視して雑誌に目を落としていると、レイラが傍にやってきて腕を引き注意を引き戻す。
「ミスリィーが変なことゆうから、レイラまだ全部ゆえてないの。あのね、オナラの精霊がね、ウンコに色を付けていくの」
「へえ」
 と、もう一度いってやるとレイラは笑い転げ、咽せ返った。
「じゃあ、何色にするかは、その精霊の気まぐれなの?」
「ううん、違うの」
 レイラは呼吸を整えて、再度意気込んで喋った。「一人の精霊は一つの色しか持ってないの。それでね、三人の精霊がいるの。レイラ気付いたんだけど、すぅー……てゆうオナラだったら緑色のウンコが出るの。それは、すぅー……のオナラの精霊が緑色担当だからなの」
「なにそれ。じゃ、黄色担当の精霊はどんなやつなの」
「プッてゆうやつなの。それで、茶色のウンコの精霊は、ブッブリブリブリッてゆうやつなの」
「あ、そう」
 ミスリィーは他に答えようがなかったので、そのあとは黙っているしかなかった。しかしレイラにはまだまだ言いたいことがあるのだった。
「レイラね、明日は緑色のウンコを出そうと思うの。だから、すぅー……てゆうオナラがさっきでたから、今日はもうオナラしません。はい、約束の指切りげんまん」
 小指を取ろうとしてくるのでミスリィーは煩わしく思いながら、「私と約束してもしかたないでしょ。だいたい、最後に出したオナラの音でウンコの色が変わるっていうの?」
「うん」
 レイラは真面目に頷いて、これがまた駄洒落になっていると気付くと唇をねじ曲げて二つの鼻の穴から勢いよく息を吐き、シャツの腹の辺りを握った。次の瞬間には両足でタップを踏みながら、快活に笑っていた。
「じゃあ、ウンコしている途中にオナラしたらどうなるのよ」
 レイラは、あっと口を開いた。
「それ、明日試してみる。ウンコが半分出たところで、どうにかしてオナラしてみる。そしたらウンコのこっちとあっちで色が違うかもしれない」
 真顔で言うので、どうやら精霊による着色説を信じている様子だった。(じゃ、オナラしなかったら無色透明の便でも出るというのかしら、馬鹿馬鹿しい。子供の考えることはよく分からないわ)。
 ミスリィーは雑誌のページをめくった。
 レイラは明日の朝一番のウンコスケジュールが決まって爽快な気分に浸っていたが、それはそうと駄洒落の復習に余念がなかった。
(この分だと、遊び友達と別れるときは「さよオナラ」とかいって別れてきたんでしょう。この年代の子供って、なんでこう、シモの話が好きなのかしら。好きというか、急所よね、ほとんど)。
 ミスリィーは、ふっと試してみたくなって、雑誌を閉じるとレイラを手招きして呼び寄せた。無言のまま手招きし続けると、レイラはつぶらな瞳を瞬かせながら接近してきたし、彼女が口元に両手を添えると、ひそひそ話の類だと勘づいて、耳に手をやりながら密着してきた。
「う、ん、こ」
 ミスリィーが囁くと、レイラは目を輝かせ、えっ、といいながら顔を上げた。
 しぃ、とミスリィーは、口元に人指し指を添えて黙らせると、再び軽く手招きした。レイラはまた同じように耳をさしだした。
「う、ん、こ」
 もう一度優しく囁きかけると、レイラは、ええっ、と声を出し、両手で口元を押さえながら下がった。ニヤニヤしている口元は、小さな両手だけでは隠しきれていなかった。
「え、ミスリィーなにゆってるの、レイラわかんないんだけど」
「うんこ」
 三度目の呪文を受けて、レイラは堪えきれず、くすぐったそうに身を揺すりながら笑い出した。四度目の呪文にもなると、キャーと悲鳴をあげ、笑いながら寝室へ逃げ込んでいった。ミスリィーはそれを追いかけていって、レイラの耳元で呪文を唱え続けた。
 レイラはキャーッ、キャーッと嬌声をあげながら、ミスリィーから逃げ回り、ベッドの下を潜って反対側へでて、寝室を脱出し、屋外まで飛び出していった。
「うんこ うんこ うんこ うんこ うんこ うんこ うんこ うんこ うんこ――」
 カバディの様相を呈したこの競技は、逃げ回るレイラのはしっこさに負けじとサンダルに足を通して外に飛び出したミスリィーが、隣人の中年主婦と対面したところで早くも終了を迎えた。
 ミスリィーは適当に挨拶をしてお茶を濁し、屋内に逃げ帰るとソファにうずくまり、開いた雑誌で顔を覆った。羞恥心と格闘する彼女とは対照的に、レイラは快活な笑顔で帰ってきた。
「あー、レイラおかしくって死んじゃうかと思った! ミスリィーおかしいの、うんこって、おかしいの! レイラ、大人の考えてることって、よく分かんない」