SBR完結を祝して――多次元の勝利者

 ジョジョ第八部であるジョジョリオンも1巻目が発売されました。
 そんな時期に、今更ですが、ジョジョ第七部であるSTEEL BALL RUN (以下SBR)について少し書きたいと思います。もちろん、未読の方はネタバレに注意して下さい。その辺りに気を遣うつもりはありません。
 
 SBRが最終回を迎えてから、早くも半年以上が経過しました。完結を祝すのであれば、もっと早くに書けばよかったのでしょうが、このぐらいの時間を隔てなければ冷静に評価することができそうになかったのです。だって、そうではありませんか? 大統領戦でジャイロが犠牲となり、このままどうなってしまうのかとジョニィと大統領の駆け引きを見守った後、ジャイロは「やはり」生き返らないという展開が確定して……なにか呆然とした状態になりました。その呆然とした心地のままで読む最後の対決は、はっきりいって消化試合としてしか読めず、評価云々どころではありません。冷静になる時間が必要だったというのは、そういう意味であります。
 

実質のラスボス、ヴァレンタイン大統領

 さて。
 最終戦である別次元のDioとの対決は今しばし置いておくといたしまして、実質のラスボスであるヴァレンタイン大統領戦を振り返ってみましょう。
 基本的にロングバトルの少なかったSBRですが、大統領戦だけは超ロングバトルが展開されます。全24巻のうち17巻から23巻にまで及ぶ長さです。全体の三分の一近くになります。
 17巻の時点ではヴァレンタイン大統領のスタンド能力は明らかになっていません。それどころか、荒木先生もまだD4Cの能力を固めていなかったようです。なんといいますか、お約束ですね、完結した今になって読み返してみても説明しようのない矛盾が散見されます。しかし、だからこそでしょうか、やたらと不可解で、猛烈にそそられる巻でした(よく言えば荒木先生以外にできそうにない荒技です)。
 ちなみに、この時点で私が推理したD4Cの能力は結果的にすべてハズレでしたが、アイデア帳にしっかりと記録されています。(大収穫でした!)
 

Dirty deeds done dirt cheap

 撃たれたジョニィはどうなったのか?
 ジョニィを撃ったのは誰なのか? ウェカピポ? Dio? 大統領?
 そして大統領の能力は?
 共闘するDioとウェカピポが大統領を追いつめ、ついにD4Cが姿を見せる。
 ウェカピポの鉄球が命中したにもかかわらず、大統領の内側にめり込んでいって効果がない。
 一体どうなってしまうんだ!?
 
 ――というところが17巻の引きです。完璧すぎて鳥肌が立つ「奇妙さ」ですね。これは本当に幸せな体験でした。
 第三部のラスボス戦を思い出して下さい。ザ・ワールドの能力の謎解きを。第四部のバイツァ・ダストがもたらした絶望感も思い出して下さい。それから第五部のキングクリムゾンのムリゲー感漂うチート能力のことも。そしてどうしようもなくどうしようもなかった素数を数える神父様の宇宙規模の能力のことも。あれらのボス戦を現在進行形で読む体験は、歴史の生き証人になる気分ではないでしょうか。
 
 18巻に入るとヴァレンタイン大統領の能力が明らかとなります。
 やたら長ったらしいスタンド名「Dirty deeds done dirt cheap(いともたやすく行われるえげつない行為)」ですが、頭文字を取って「DDDDC」これを更に縮めて「D4C」と呼ばれました。
 能力は次の通り。
・モノとモノのあいだに挟まることによって隣り合う別の次元に移動することができる。
・ヴァレンタイン大統領以外の人が別次元に移動した場合、その次元にもとから存在していたもう一人の自分と出会うと対消滅してしまう。
 

「傍に立つもの」から「立ち向かうもの」へ

 D4C。このスタンドは殴ってきます。
「人型をしたヴィジョンのスタンドが両拳を使って攻撃してくる」
 これはスター・プラチナのオラオラに始まり、第五部の多くのスタンドが使用したよくある攻撃です。しかしSBRにおいては珍しい攻撃なのです。
 第三〜六部におけるスタンドは「傍に立つもの」の意味を持っていましたが、第七部であるSBRではスタンドは「立ち向かうもの」と再定義され、能力もスタンドのヴィジョンそのものが力を持っているというよりは、何らかの物体を介して働く力と見なすとしっくりくる描写になっていました。
 ジョニィの能力は爪弾を撃つことであり、爪を介しています。イケメン保安官はロープの届く範囲で肉体を分割・移動させていました。ブンブーン一家の能力は磁力であり砂鉄を介して人型の塊を作り攻撃させており、これもスタンドのヴィジョンが攻撃しているわけではありません。*1
 よって、スタンド能力者であっても、攻撃手段はピストルだったりしたのです。おかげさまで西部劇の早撃ち対決を意識した決着がSBRの魅力となりました。これは本当に、最大限に評価してもいい工夫だと思います。それだけにD4Cがこの鉄則を破っていたことには若干の異議申し立てをしたいところではありますが、ラスボスだから特別扱いもやむを得まい、と目を瞑ることにしました。(しかし最後の最後、大統領は銃を使うのです。これがまたいいんだ)
 

Dio vs ヴァレンタイン大統領

 話を戻します。
 大統領の能力が明らかになる中、Dioはしぶとく生き残ります。Dioがジョニィを誘導していたところもウェカピポの戦死も胸が熱くなる場面です。
 19巻に入るとDioはホットパンツとタッグを組みます。D4Cの能力を実体験したDioにはすでに対策案ができていたのでした。Dioとホットパンツは大統領が乗り込んだ列車に追いつくのですが――
 どうなるのだろう、と読み進めていると、列車からもう一人のDioともう一人のホットパンツが放り出されてくる。ここは思わず叫んでしまいました。「え゛え゛え゛?」「ちょ、まw」「ありえねえ」「オレ死んだ」のエンドレスループです。出会えば対消滅。自動追尾式の爆弾を投げて寄越すようなものじゃないですか。しかも無限に。
 しかし大統領はこれを最後に同じ戦法を取らなくなります。私としては、Dioがなんなく対処してしまったので大統領が悪手だと認識した、と見なして自己解決しました。そのかわりに他の次元の大統領を連れてきて、3対2の状況を作ります。これもまた卑怯くさい戦法であるうえに見開きで格好いいのですね、本当に。これだけ大統領が格好のに、Dioがすぐさまその上を行く格好よさを見せつけるから堪りません。一時期ネットで話題になっているのを見かけました。荒木式「なん…だと…!!」の場面です。
 なにもかもが素晴らしかった。圧倒的優勢だったDioがあえなく敗北してしまったことも含めて。
 Dioが死んでしまった……(こんなやつに勝てっこない……)
 

主人公勢 vs ヴァレンタイン大統領

 20巻。いよいよジョニィ&ジャイロ、主人公タッグが大統領に挑むこととなります。しかしここで大統領は聖なる遺体の所有者として新たな力を得るのです。大統領とDioの対決でD4Cの従来の能力は描写しきってしまったので(負けたとはいえDioが適切に回答を示したので)、新たな力に目覚める展開は漫画として正解でしょう。しかし、もとより手を付けられなかった強さの大統領が更に強くなってしまっては、先の展開が不安になるというものです。
 こういうとき、読者による作家への信頼度が如実に現れます。作家を信じているならば、絶望的な状況になればなるほど、状況をひっくり返すその時への期待が高まるものです。が、はっきりいって私は荒木先生を信じていなかったので、良い意味での絶望感よりも悪い意味での不安感を抱きました。
 しかしその不安感は同じ20巻内にて早くも胡散霧消します。大統領の絶望的な力に悉く圧倒されるジョニィ&ジャイロが、しっかりと描写されるのですが、一縷の希望もまた無理なく示されているのです。前巻でほのめかされていた「馬の力を利用した黄金の回転」がそうです。
 

ラブトレイン

 馬の力を利用した回転のみが「D4C−ラブトレイン−」に通じる可能性を持つ――
 順序が逆になりましたが大統領の新しい能力、ラブトレインについておさらいしましょう。
 ラブトレインは大統領が聖なる遺体(=ルーシー)を手に入れたことにより発現した能力です。世界の中心はまさにルーシーにあるとばかり、ルーシーに地形が引き寄せられてゆきます。引き寄せられた地形がどこへ行くのか? それは誰にも分かりません。えっと、何を説明しているのか分からなくなりそうですが……既読者にはアレのことだと分かるのだからいいでしょう……万物が聖なる遺体にひれ伏そうとするが如く接近し、なおかつ接触することなど恐れ多いとばかり聖なる遺体の直前でかしづく……そのような得体の知れない引力が働いています。その引力が引きつけるのは地形ばかりではありません。「吉兆なるもの」も集まってきます。そして「害悪なるもの」は余所へ、何処か遠くへ、地球の反対側へ、飛ばされるのです。この現象は結果的に、幸運を得るというよりは、不幸を除去する力として働きます。
 わけの分からないことを書いてしまいましたが、能力の効果としては単純です。いわば無敵の空間があり、その空間に留まる限り、いかなる攻撃も意味をなさなくなるのです。そしてその無敵空間は、モーセが海を割ったという伝説をモチーフとして、空間に生じた溝のような光の裂け目として描かれています。
 この辺りの画力が尋常ではありません。SBRの何が凄いって、絵が凄いんです。もう、こんなのあり得ない。それしかいえない。従来のジョジョの絵は「何がなんだか分からんがとにかくヤヴァイ」だったのですが、SBRでは「何がどうなってるかよく分かるのにとにかくヤヴァイ」です。漫画としての絵と画集としての絵は違う趣をもっているはずなのに、ここでは漫画にして画集、画集にして漫画なのです。
 

主人公のない主人公

 絵の凄みが増す中――
 再度馬に跨り、停止した列車に向き合うジョニィとジャイロ。
 主人公だからラスボスと向き合っているのではありません。ある意味では、この二人には主人公力が欠けています。だからこそ二人が大統領に立ち向かうその心に震えるのです。*2
(主人公力とはなんぞや、と訊かれても困るのですが……アンパンマンバイキンマンに勝つような、予定調和という完全無欠の特殊能力のことを指すと考えて下さい。そしてジョニィがレースで優勝することができなかったことやジャイロがこの後に戦死してしまうことを考えて下さい)
 
 ところで、ジョニィはもしかしてパニック障害の持病持ちなのでしょうか。その辺りの医学的知識がないので適当なことは書けませんが、あのハアーッハアーッという荒い呼吸は、単に精神的に圧されているためだけとは思えないのです。漫画としての過剰な描写とは考えにくい。
 しばしば読者に「ヘタレ」扱いされるジョニィですが、物語を通じて病気を克服していくのだとすれば、歴代主人公に劣らず強い精神力の持ち主と見なすことも可能――まあ、その必要はないんですが。ここで重要なのはジョニィのこの弱さをジャイロが支えている点です。はじめは乱暴だったジャイロも*3、ラスボス戦に入ってからジョニィの宥め方がかなり大人のものになっています。
 呼吸を乱し続けるジョニィへこちらの僅かな希望を語るジャイロは、戦友である以上に名医のようにも見えます。
 

ツェペリの運命

 21巻。 
 ルーシーはスティーブンにより列車の外へ運び出され、ジャイロが馬で駆けつけ、大統領よりも先に彼女を確保しました。
 市街地、列車内、列車が停止した草原と来て、戦いの舞台はついに海に至ります。
 大統領と距離をおくに連れ「聖なる遺体」状態から生身の肉体へと戻るルーシー。しかし依然として彼女が世界の中心であり、海すらも彼女のもとへ引きつけられてゆきます。しかしけっして波が彼女を呑み込むことはありません。僅かな距離を置いてルーシーを包囲します。ラブトレインの描写に引き続き、海を割った伝説をモチーフとした描写ですね。
 そしてジャイロと大統領の一騎打ち。ここでジャイロはジョジョ伝統の展開を迎えます。ツェペリの血統はジョースターの血統に魂を伝え、戦いの中に命を落とすのでした。
 このツェペリの運命がSBRにおいても適用されてしまうことについて、私はほとんど考えていませんでした。サンドマン戦でジャイロが瀕死の重傷を負ったときに、そういうこともあるかもしれない、と思ったものの、ジャイロは生き残りました。ウェカピポ戦でも生き残りました。ジャイロには果たさなければならないことがある。レースに優勝し、その恩赦によって無実の罪で処刑される少年を救うそのときまで死ねないはず。なにより、ジャイロがジョニィを抑えてレース優勝を果たす、そんな展開を期待するどころかほとんど鮮明に描いてしまっていました。それだけに、ジャイロのリタイアが信じられません。
 21巻の引きではジャイロが致命傷を負い、馬から落ち、波に呑まれていく。ジャイロは死ぬのか? まだ分からない。死なないで欲しい。そうやって保留にしたまま先を読み進める。22巻、大統領が拳銃を六発全弾ジャイロに打ち込みとどめを刺す。……。
 その後はジョニィが馬の力を使った黄金の回転を成功させ、大統領がその威力から逃れる術はないと理解するまでの過程にページが費やされる。そして22巻の最後になって大統領は敗北を認め、取引を持ち出す。
 別の次元のジャイロを連れてくるから、私に打ち込んだ無限の回転を止めて欲しい、という要求。
 ジョニィは悩む。当然、悩む。言うまでもなく、生きているジャイロに会いたい。
 ここでのジョニィの葛藤は十分に描かれています。彼の心の動きは内面描写を必要としないまでに表に現れている。悲痛な肉声が聞こえてくるかのようです。
 この一連のシーンの凄みは読者を引き込んで放さないところにありますが、それは「ジョニィに感情移入して読める」という域とは異なった次元を持っています。すなわち、登場人物の心の次元ではなく読者の心の次元に属するのです。
 

ジャイロが生き返ってもいいはずだ

 読者はジョニィの知らない大統領を知っている。ゲスい側面のあるバレンタイン大統領を知っている。だがそれでも、大統領がジョニィを信じさせようとする言葉には説得力がある。大統領がゲスかろうが、誓ったことは確かに遵守してきた。合衆国を導こうとする志も本物。彼が父親から愛国心を学んだことも父親を尊敬していることも事実だし、死したその父親に会いたくて別の次元を探して回ったという経緯から、人情味もある。
 第七部が第一〜六部までとは違った話であってもいいはずだ。実際、従来のジョジョとは違った取り組みが数多くなされてきた。ならば、ラスボスと和解するエンドも、あってもいいはずだ。レースを続行するためには大統領という合衆国のシンボルが必要だ。彼を生かしておいてもいいはず。ジャイロのためにならば一度は遺体を捨てることのできたジョニィだ。ジャイロの生存を優先することだってできるジョニィなのだ。そしてジャイロだって、ツェペリの運命を乗り越えるジャイロであって何がいけないだろう? この作品は他でもない、SBRなのだ、これまでのジョジョとは別世界なのだから。
 別次元から連れてこられたジャイロはこの次元で戦死したジャイロとは別人だ。そう見なすのが普通の感性だろう。しかし大統領は、大切なのはジャイロがこの世界で生きていることだと説く。本当にその通りかもしれないと思わせるだけの迫力がある*4。それに、第六部の結びを思い出す。一巡後の世界で、ジョリーンはアイリーンとして、別人ではあるが同一の魂の継承者として生きた。
 またジャイロに会いたい。ジャイロが生きている物語が読みたい。ジャイロが生きていればどんなにいいだろう。
 ――登場人物とは違ったメタ視点に立っているというのにジョニィと同じ気持ちでいる。だからこそ、大統領の言葉を100%信じたというジョニィの言葉を読者もまた100%信じることができる。
 

ジョニィの選択

 だがジョニィの100%は気持ちの上でのこと。現実のすべてが感情に従ってくれるわけではない。ジャイロはなぜ死んだのか? ヴァレンタイン大統領を倒すために犠牲になったからだ。「言葉」や「感傷」ではなく、「行動」のみが道を切り開くことをジャイロは示してきた。「行動」を通じて学んだことが今のジョニィを生かしている。だからジョニィは101%を求めた。
 ジョニィは銃を大統領に投げて寄越す。ジャイロのとどめを刺した銃。弾丸を撃ち尽くして空っぽの銃。大統領の銃。
 大統領は銃に手を伸ばすが、掴み挙げる直前に躊躇う。それを拾えば、拾い上げた銃と大統領が隠し持っている銃とが出会い、対消滅してしまう。交渉の場に銃を隠し持って臨んだことが知られてしまえば、ジョニィが不信感を抱くかもしれない。否、必ず不審を抱かれるであろう。100%でなおよしとせず101%を求めたジョニィである。そんな彼から信用を1%欠くだけでも致命的だ。銃を対消滅で失えば、逆の回転を撃つために馬に乗ったジョニィを攻撃する手段を失うことにもなる。
 ここでの大統領の決断については、心理的描写が一切なく、想像するしかないのですが、大統領は銃を拾うことを躊躇い、やめる。大統領は「私のなす事はすべて正義」と言い放ち、隠し持っていた銃をジョニィへと向ける。銃と銃が出会い、対消滅が始まる。大統領は銃が消滅してしまうまでにジョニィを倒さなければならない。
 長い長いヴァレンタイン大統領戦の最後は、ジョニィと大統領の一騎打ちとなった。
 

ジョニィの選択と大統領の決断について

 深く考えていなかったというとアレですが。
 ジョニィは大雑把に、大統領が銃を隠し持っていた場合、銃が対消滅するだろうというところまでしか考えていなかったのでしょう。実際、大統領は銃を隠し持ってきてジャイロに挑んでいたのですから、銃の所持を警戒する必要があります。ゆえにジョニィは警戒しますが、厳密なところは成り行き任せだったのでしょう。大統領が攻撃してくる気配を見せたなら、即座に迎撃する(実際、即座に迎撃した)。ただのそれだけ。
 で、大統領はジョニィの「ただのそれだけ」の作戦を見抜いている。だがどうしようもない。拾わなければ信じないと言われているのだから、拾うことを拒否できない。銃を拾っても銃が対消滅してしまい、何事もなければよいというジョニィの要求に応えられない。
 このケースで重要なのは、ジョニィは大統領が銃をもっているはずだと見なしており、大統領の方もそう見なされていることをほぼ完全に見切っていることです。様々なパターンを深く考える必要があるでしょうか。ここにいるのはジョニィが一人、大統領が一人。どちらもすることは決まっている。おおよそこうするであろうことは、お互い分かっている。すなわち、深く考えていないというよりは、高等な心理戦が行われている。
 ジョニィは銃を拾えといった。大統領は拾うしかない状況に立たされた。ように見える。が、ここは柔軟に、拾わないことを選んでもよかった。説得達成のためには果てしない遠回りになってしまうが、銃を持っていることを告白した後、銃を見せ、銃を対消滅させ、再び説得する。これを選んでもよかったし、もっといえば消去法的に考えて大統領にはその選択以外、正解はない。しかしこの正解は現実的ではない。
 僅かな可能性に賭けて、銃を対消滅させた後に再説得を試みるか。それとも、命と引き替えにジョニィを倒すことにするか。大統領は決断しなければならない。大統領最大の武器はDioをも下した決断力にありました。
 
 ここで、ジャイロとジョニィの出会いを思い出してみましょう。
 ジャイロがスリを行った男と決闘するシーンです。
 レース係員に抑えつけられているスリへ銃を投げて寄越し、「拾え。ただし拾ったらそれが『合図』になる。オレを困らしたいっていうんならな」と言い放ちます。
 西部劇でお馴染みの、早撃ち対決です。
 そしてジョニィと大統領の最終戦も、このジャイロの決闘シーンを模倣しているのです。ただし、大統領戦ではジョニィの言葉とは裏腹に、銃を拾うことこそが決闘を避ける道となっている。
「銃を拾え、大統領。何事も起きないのだろう。恐らくは。だが、何事かが起きればそれが『合図』になる。ぼくを絶望させたいというのなら」
 大統領は隠し持っていた銃を引き抜く。
 ジョニィはこれを見て対応する。漆黒の意志ではなく、ジャイロのやりかたで。最後の最後まで対応者でいなければならない。ジャイロを取り戻す僅かな可能性を待つ、決死の対応者をまっとうするジョニィ。
 しかし大統領は最後の最後で裏切った。ジョニィの爪弾が大統領に致命傷を負わせた。その時点でジャイロ奪還の道は断たれた。
「そうゆう事ならそうゆう事でいいんだ」
 そう言い遺してジャイロの魂は逝くのでした。
(というのが妥当な解釈ではないでしょうか)
 

異次元からの来訪者

 次はいよいよ最終戦、異次元からやってきたDioとの対決です。
 このDioの登場には驚かされました。レースが完結しないうちから大統領が退場となって、いったいどうなることかと思いましたが、Dioをラスボスに据えてレースは続行です。しかもDioの能力はスケアリー・モンスターズではなくザ・ワールド。よい意味でズルい! ポルナレフの例の台詞を軽くセルフパロディしつつも、ジョニィはDioの能力を瞬時に見抜き、大統領が連れてきた異次元のDioだと理解する。恐ろしく速い展開ですが、意外に無理のない流れとなっています。
 
 ジョニィの爪弾を飛ばす能力《タスク》は、歴代主人公の中でも文句なしの最弱の能力としてはじまりましたが、《馬の力を借りた黄金の回転》を応用したタスクACT.4は ジョルノのゴールドエクスペリエンスレクイエムに類似し、なおかつ更に応用が利く能力となりました。時を止めるDioと充分戦えるどころか、その上をゆきかねない戦力です。
 しかし軍配はDioに上がりました。
 

マイナスからゼロへ

 主人公が最後の勝負で敗北するというのは、いささか不完全燃焼のような気もしますが、ジョニィの敗北は物語の流れとして当然の帰結です。ジョニィの魂の叫び、十八巻に登場したあの名言を思い出して下さい。
 
「あとほんの少しなんだッ!
 どうしても遺体を手に入れたいッ!
 「生きる」とか「死ぬ」とか 誰が「正義」で 誰が「悪」だなんてどうでもいいッ!!
 「遺体」が聖人だなんて事も ぼくには どうだっていいんだッ!!
 ぼくはまだ「マイナス」なんだッ!
 「ゼロ」に向かって行きたいッ!
 「遺体」を手に入れて自分の「マイナス」を「ゼロ」に戻したいだけだッ!!」
 
 自業自得ゆえ銃に撃たれたジョニィは下半身麻痺の後遺症で車椅子の生活を余儀なくされました。天才ジョッキーとしての将来を失い、ガールフレンドには逃げられ、両親からも見放され、マイナスへ転がり落ちる一方でした。
 そんなジョニィの渾身の願いは、マイナスの人生を せめてゼロのところまで持っていくこと。はじめ、彼は彼の脚を一瞬動かすことができたジャイロの鉄球に希望を見、ジャイロについていくためにSBRレースに参加しました。また、レースを通じて知った「聖なる遺体」もジョニィの脚を動かすことがありました。
 彼にとってマイナスがゼロへ転じることの具体的なところは、下半身麻痺の解消にあります。そしてそのための道のりは聖なる遺体の獲得にある――ジョニィはそう信じるに至ったのでしょう。下半身麻痺からの回復と遺体の争奪に、本当は関係などないかもしれません。しかしジョニィは遺体争奪に深く関わっていく過程でしかマイナスがゼロへ向かう実感を持てなかったのです。その実感から逃げないことだけが彼の希望となったのです。(彼は遺体の効能に期待しているのではない。彼にとっての遺体は希望を象徴しているのである)
 そして、ジョニィは大統領を倒し、遺体をすべて揃えました。揃えた遺体は、その直後、すべてDioに奪われます。しかしジョニィの脚は、このときにはすでに動くのです。彼はもはやマイナスではありません。ゼロになることができていたのでした。
 彼の渾身の願いは叶っています。ここでDioに勝ってしまえば、それはゼロであるどころかプラスにまで傾くことになります。先の名言が物語の結びを経てなお真実味を帯びているためには、ジョニィはレースに勝つことはできないし、Dioに勝つこともできないのです。*5
 

ジョニィを救ったのは回転

 ジョニィはタスクACT.4をDioに狙い撃つが、Dioの計略によりジョニィ自身がACT.4を喰らうこととなる。ここでスティーブンが馬に乗って助けに入る。
 この場面、どこかで見たような……、と思い、読み返すと、ジャイロがルーシーを馬に拾い上げる場面との対比になっていることに気付きました。妻であるルーシーを助けてもらったスティーブンが、その恩返しとばかりジョニィを救う。
 因果は巡る。回転のように。
 

そしてルーシーの総取り

 ジョニィに勝利したDioは遺体を格納するためシェルターに向かう。シェルターの格納庫に遺体を配置し、今まさに格納しようと言うところへルーシーが現れ、彼女が運んできた基本の次元のDioの頭部(死体)が異次元のDioと出会い、対消滅する。
 ジョニィと大統領の最後の一騎打ちのときもいい働きをしていましたが、D4Cのこの対消滅のルールって、素晴らしい発明ですね! 異次元からものを持ってこられるから、ものが重複して溢れかえらないようにするルールが必要という発想は分かるのですが、物語の展開にここまで食い込んでくると、ラスボスにつきまとう「僕の考えた最強のスタンド」臭も帳消しといったところでしょうか。
 
 あと、この結びについて、遺体の所有・所在について一応確認しておきますと――
 Dioは格納のダイヤルを回す前にルーシーに気付き、そのあとは格納庫に近づくことなく死んでいるので、彼は遺体の所有者ではないですね。
 その後、時間が飛んでルーシーとスティーブンが格納庫前で会話しているのですが、このときには格納庫は施錠されていました。スティーブンが施錠したのではない様子なので、確実にルーシーが施錠したことになり、遺体の所有者はルーシーということになります。
 遺体の所在――つまり遺体は格納庫内部にあるのかルーシーの体内にあるのか――ですが、施錠したであろう指先が強調されていることから格納庫内部にあると見るのが妥当でしょう。*6
 
 ちなみに、ポコロコは最後まで遺体争奪戦に絡んでくることはありませんでした。絶対にポコロコ回が再来すると睨んでいたのですが。幸運の持ち主ゆえ、危険にはそもそも近づけないのでしょう。(いったいどこの渋川流だ)
 

結び

 ブログ記事としては長文となってしまいましたが、この辺りでお開きといたします。まだまだ語りたいことはあるのですが、あんまり時間がないし用意もできていないので、私用のメモの如く箇条書き程度ですませます。
 
・絵の進化が凄いよ! 第七部の絵は第六部までの絵をぶっちぎりで超越したッ!
・食らえ読者ッ、範囲 第一〜六部のセルフパロディ・スプラッシュをーッ!
・あり得ない低レベルなダジャレ、低次元なギャグ! こいつぁクセーッ! 親父ギャグ以下の匂いがプンプンするぜーッ! だがそれがいいんじゃないか!
・ああんDio様が恐竜化しちゃったーッ! そこに痺れる憧れるゥ〜ッ!
・ほんの「6秒」 それ以上長くもなく 短くもなく う〜ん、マンダム。
・イケメンハンサムカウボーイが想像以上にイケメンハンサムカウボーイしてた。
・難敵ブラックモア で スイませェん
・LESSON4 『敬意を払え』
・どうしてスタンド名が『邦楽』なのよォーッ!
・『ネットにひっかかってはじかれたボール』に乾杯 の辺りが文学的
・「左半身失調」は開始するッ! こんな力をこんなに格好良く描けるのは荒木先生だけ!
 
 それでは皆様、また第八部終了時にお会いいたしましょう。
 アリーヴェ・デルチ。

*1:つまり従来のスタンドはスタンドに備わる特殊能力に加え、基本的に念動力(サイコキネシス)も有しているのです。SBRではその念動力が備わっていないと見なすと分かりやすいですね。

*2:余談ですが、サイボーグ009を思い出しませんか。加速装置と炎を操るミュートスサイボーグのアポロンが、009こと島村ジョーを圧倒し、加速装置の他に武器はないのかと訊くと、ジョーは次のように答えます。「あとは勇気だけだ」

*3:ジョニィがテンパると殴りつけたり怒鳴りつけてた。

*4:大統領は他の次元の大統領へ使命をバトンタッチしながら復活してきたのだから、基本世界で生きていることが重要だと本気で考えているのだろう。(大事なのはクッパを倒すマリオだ、クリボー接触して死んだマリオは犠牲になったのだ)

*5:と、解釈できる。が、正直、最終巻を読む前の段階では、レースには勝てないけどDioには勝つだろうと予想していた。

*6:遺体はルーシーの肉体から切り離されて初めて完成され、完成されてからは誰かの肉体に入り込めるとする描写はありませんでしたし。