流れ星を追い越して、そのスピードを感じてる


 
 スピッツの『どんどどん』を何度も聴いている。歌詞の意味は考えない。考えないようにしている。でも考えてしまっている。
 覚えようとしない限り覚えられない。それが歌詞なる存在。歌詞表を見て歌詞を暗記する前と後で、曲に対する印象がまるで違う。と気づいてから、歌詞表はほとんど見ない。見えない。見ていない。たまに見ると空目ならぬ空耳で、誤って聞き取っていた箇所があることを思い知る。しかし歌詞は覚えない。覚えてしまったら忘れることができない。思い出せないことが忘れることではない。思い出せないだけで、知ってはいる。丁度、読めはするが書けはしない漢字、そんな感じ。
 歌詞を覚えていない曲の歌詞は聴けば聴くほど断片だけが累積する。降り積もる雪が辺り一面を平らにしてしまうのとは違い、積もり積もる言葉の破片は奇妙な偏りを生み出す。聴けば聴くほど慣れ、飽きるはずが、聴けば聴くほどバイアスをかけていく。慣れ、擦り切れ、失われるのではなく、せりあがり、もりあがり、つくられていく。
 
D
 
 どんどどん、どんどどんのリズムと共に、断片的な歌詞だけが積もる。思い出すときは順不同。インド製のハイテク。天使もシラフでは辛い。薄く切ったパンで感謝状。意味が、ちょっと、分からない。分からないまま聴いている。優しい君が呼んでいる。一つだけに従おう。
 そしてサビが訪れる。分かるようで分からない、覚えていないようで覚えている歌詞が流れている。追い越すことができない、追い越してはならない歌詞に同期していくスピードで、流れ星を追い越していく。でも冷静に聴けば、歌詞の意味ぐらい分かる。どうやら思い合っている男女がいるらしい。ふたりは一緒に車に乗っている。車に乗っていなくても構わない。ただ星空の綺麗なハイウェイをどこまでも加速してゆく。加速してゆくふたりはそれなり以上に思い合っている仲のはず。そのはずなのに、僕の頭の中にはまったく別のヴィジョン。舞台は夏祭り。人だかり。どんどどん。どんどどん。どんどどんは花火の音。男女は車を運転する年頃ではなく、中学生ぐらい。相思相愛でもなく、少年の片想い。夏休みの最終日。それは待ちに待ってた眠らないトゥナイ。赤とピンクの音に酔いましょう。
 弾けるような愛を、叫びたいけど叫べない、成就してもいないのに、傍に感じるだけで成就しているも同然の、境界をはみだして広がり続けるこの気持ち。現在進行形ではじめて感じているはずなのに、十年後に振り返っているような懐かしさ。まだ終わっていないのに、終わっているも同然の、まだ過ぎ去っていないのに、過ぎ去らないはずがない、8月31日。煩悶としているし、させられている。ほとんど生殺しなのに、もっと締め付けられたいと欲してる。打ち明けられない気持ちと気持ちを打ち明けられない悩みが、やがてどうでもよくなって、まだ始まってもいないのにすでにひとつの生きもののような、可愛い君が笑ってる。悩みの時が明ける。もうこのままでいい。斜に着けられた出店の面。花柄の着物姿。繋ぎ、引かれる手。生温い夏の風。飛び散り、流れ落ちる火花。流れ星を追い越して、そのスピード感じてる。終わらないで。終わらないで……