読みにくい
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誤訳ですね、という内容でエントリを立ち上げそうになった。前後で文脈があっていないように読めてしまう。
▼鴻巣訳 P87
ところで、アンドルーだが、もっと勉強する気になってくれんものかな。でないと、奨学生になるチャンスをすっかりふいにしてしまう。「あら、奨学金ですか!」ラムジーは妻を莫迦なやつだと思う。奨学金のような重大問題に対してそんな軽々しい口をきくとは。アンドルーが奨学生になれたら、どんなにか自慢だろうな。ラムジーは言った。なれなくたって、わたしはあの子が大いに自慢ですよ。夫人はそう答えた。この点で、夫婦の意見はつねに分かれるが、大した問題ではない。妻は夫に、奨学制度を信奉して欲しかったし、夫は妻に、アンドルーがどうあろうと自慢に思っていて欲しかった。
引用の前半部は、ラムジー氏は奨学金制度を信奉していること、ラムジー夫人は奨学生であろうとなかろうと息子を自慢に思っていることを説明している。
ゆえに後半部の《妻は夫に、奨学制度を信奉して欲しかったし》は、一瞬 誤訳ではないか、事実は逆ではないか、と困惑してしまう。《妻は夫に》ではなく《夫は妻に奨学制度を信奉して欲しかった》なのではないかと疑ってしまう。
同様に、《夫は妻に、アンドルーがどうあろうと自慢に思っていて欲しかった》では逆を説いているように思われてしまう。妻が夫に説いているのではないの? と。
実際にはどういう内容であるのか、御輿訳を引用してみる。
▼御輿訳 p125
やがてラムジー氏が再び口を開く、アンドリューがもう少し勉強に本腰を入れてくれるといいんだが。そうでないと、奨学金をもらう資格がとれなくなる。「奨学金なんて!」と夫人が言った。こんな大事な問題を見くだしたように言うのは愚かだと思って、あの子が給費生資格を取ってくれたら、わしは鼻が高いんだがな、と氏は言ったが、そんなものをとらなくても、あの子は十分自慢できます、と言って夫人も譲らない。このことでの議論はいつも平行線なのだが、実はそれでもいっこうに構わなかった。妻は給費生資格の価値を信じる夫が好きだったし、夫はどんなことがあろうとアンドリューを誇りに思っている妻を、何より好ましく感じていたから。
御輿訳では、一切滞りなく意味が掴める。というか、御輿訳を参照するまで鴻巣訳の意味が掴めなかった。
多分、鴻巣訳でも《妻は夫に、奨学制度を信奉して“いて”欲しかったし、夫は妻に、アンドルーがどうあろうと自慢に思っていて欲しかった》とすれば、もう少し意味が取りやすかったのではないかと思う。
この場面に限らず鴻巣訳は読みづらい。はじめは、慣れの問題だろうか、先に読んだ御輿訳をひいきしてしまっているのだろうか、好みの問題だろうか、と考えていたが、どうも、単純に訳が上手くないのではないかしら……と思えてきた。読んでいて、頭の中でリズムがつくりにくい。丁度、僕が文章を書けずムキーッとなっているときのリズムの断絶感(というか、ノイズ)が感じられるばかり。
新潮文庫で出ている『嵐が丘』の鴻巣訳はすごく読みやすくて感動したのだが。(あれも誤訳があると聞いている。どこが間違っているのか確かめていない。)
とにかく、もう少し読み進めてみます。