正しいものは、これじゃなくても

 歳を取らない人と言えば、まずはじめに漫画家の荒木宏彦が思い浮かび、その次にスピッツのヴォーカルを務める草野正宗が思い当たる。僕が青春の真っ直中を過ごしていた頃からマサムネは透き通るような歌声を発していた。当時、ラジオから偶然流れてきたその歌声こそ、僕がスピッツに聴き惚れるきっかけとなった。『ホタル』はスピッツにとって通算21枚目のシングルであり、久々の新作だったが、スピッツを知らなかった僕にとっては紛れもないスピッツ初体験だった。透き通る声の虜となって、四六時中聴いていた。
 青い時代とはスピッツに魅了される時代のことだ。苛烈な恋の悩みが当然のようにつきものであるように、スピッツに必然と魅了される時代のことだ。音楽は現代に残された数限りある魔法の一つだろう。波長の合う心を現実の外へ連れ去ってしまう。それでいてこの世の何よりも現実的な感触で心を撫でる。揺さぶられることで魂はその所在を持ち主へ告げる。音楽は魂の住処だ。あの不思議で真似の出来ないマサムネ・ボイスは空間を切り裂いて、そこに魂を閉じこめる。
 
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 あれから十年経った。早いものだ。カセットテープに録音し、擦り切れるまで聴いた『ホタル』も、今ではネットを介してYouTubeニコニコ動画で聴くことが出来る。時代はデジタル。マサムネ・ボイスもピッチをいじって女の子の声に変えることが出来る(上記のニコニコ動画参照)。ちょっと聴いて、こういうのもいい、と思う。しかし、いじったこの声がいいのであれば、本家本元の声が劣るということか、などと考える。これは一大事だ。スピッツというバンドの価値の一つは、マサムネが歌うという点にあるのだから。次はこれを否定して、マサムネ以外が歌っても名曲なのだから、スピッツを再評価することが可能なのだと考えを改める。
 しかし、この『ホタル』を聴いて、僕はこの試みの最大の功績に気づいた。
 まさか、こんなことがあるなんて。擦り切れるまで聴いたこの曲を、再び、はじめて聴いたときのあの感覚で聴くことが出来るなんて。
 はじめてにして懐かしいと感じる、あの矛盾に満ちた魔法に落ちた。胸の奥に隙間を開けられ、そこに召喚された魂が、胸を抉って体外へ露出するあの感覚。夜の静寂に溶けて消えてしまいそうな儚さで明滅する恋の情念。数秒後には呪いのような熱に化ける定めの、毛の先から爪先まで満たされる仮初めの清涼感。何も見えない闇夜のどこかで水面に広がる波紋の気配。どこまでも広がっていく「僕」は生命の果てしないエネルギーを蓄えるが、等比級数的に累積するその力はただただ現実とはかけ離れた方へと――それはいっそ死の世界に近い――魂を走らせる。
 
 ひとしきり愛でた後、マサムネ・ボイスで聴き直した。
 

正しいものは これじゃなくても
忘れたくない 鮮やかで短い幻

 
 「はじめて」につきものの、新鮮な感覚、
 忘れたくないなぁ……