洞窟物語物語〜血塗られた聖域〜

 
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 地響きの中核へ向かいながらも地響きから遠ざかる感覚。圧力でひしゃげて開かなくなってしまった扉のある小屋の、壊れた床穴から飛び降りて宙を泳いでいるためか、彼の足下はおぼつかない――はたまた、地の底の重圧を感じてなのか?
 黒い風が吹く。不安はあるが焦燥はない。もう、そんなものの相手をしていられる余裕がなかった。取りそろえた武器のどれもエネルギー残量の不足を訴えている。漆黒の大気の層を抜ける。洞窟の内部を把握するカメラ・アイはまだ正常に作動している。着地地点には真っ赤な棘のトラップ。ブースターをふかして落下地点をずらす。
 一瞬、看板が見えた――《地獄へようこそ》――ここはいったい――?
 他に当てはなかったし、何かに呼ばれている気もする。クォートは愛用している銃を構えて先を急いだ。やはり何かに呼ばれている気がしていた。明らかに人の手で造られた通路、しかし人の侵入を阻むような棘のトラップの数々、奥に何か重大な秘密が隠されているらしい。彼は島のコアを格納していた隔壁を前にしたときの緊張を思い出した。
 ひときわ棘の多い通路をブースターで抜けた先に誰か倒れている。近づいてすぐカーリーだと気づく。彼女は気を失っていた。大農園で安静にしていたはずだが、島全体の異変に気づいて脱出しようとしたのだろうか。それならばこんな地下にいるはずがない。恐らくはカーリーも何かに導かれて別ルートからやってきたのだ。しかし、まだ浸水による損傷が修復されていないために歩けずに力尽きたのだろう。
 クォートはカーリーを牽引ロープで背中に固定すると先を急いだ。天井が崩れ出すと同時にカーリーが省電力モードから復帰する。
「クォート!」
「何か出てきた!」
 崩れ落ちる天井の瓦礫を縫って、幼子の天使が飛来する。とても友好的には見えない。物陰から湧いて出てきた天使たちは二人に矢を放った。うしろはまかせて、とカーリーが叫ぶ。彼女の自慢の銃、ネメシスが派手な火を噴いた。クォートはその反動を利用して跳躍し、ブースターを点火する。起伏のある通路の先で待ち伏せしている天使を、うねることで障壁を迂回する特殊銃スネイクで撃退して包囲網を突破した。
 不意に頭の中で声がした――

 ジェンカという女性に、弟がいたのは知っていますか?
 弟の名前はボロスと言います。
 姉と同じく、彼にも人間には無い魔力がありました。
 彼は魔力を使って人々を、救い、導き、そして国民から愛され信頼されていました。
 
 国王をしのぐほどに……

 
 カーリー、きみかい?
 いいえ、クォート、わたしじゃないわ!
 無線とも違うようだ。
 ええ、これはテレパシーだわ。
 それじゃ、誰かが魔法で……、でも、誰が……?
 

 ボロスに嫉妬した国王は、ボロスを捕らえて牢に閉じ込めて
 とても残酷な刑をしたんです。
 人間とは恐ろしい生き物です……

 
 ジェンカって、砂区にいたおばあさんでしょう、あのおばあさんがテレパシーを?
 ジェンカさんは魔女だそうだけど、もう魔力は枯れ果てているはず……、それにこの声はジェンカさんじゃない……。
 

 あまりにも残酷な刑は、
 ボロスの魔力を暴走させてしまったのです
 暴走した魔力に飲み込まれて王国は滅んでしまいました。
 彼が愛した国はたった一夜で熱い灰がたちこめるだけの廃墟になってしまったのです。

 
 クォート、右よ、あの的みたいな隔壁を撃って!
 

 ジェンカは狂ってしまった弟を空中に浮かぶこの島に幽閉しました。
 彼女にはそれが精一杯でした。
 実の弟を殺すなんて彼女には無理だったのでしょう……

 
 うわっ、危ない、爆発するじゃないか、この隔壁、気をつけないと。
 

 幽閉されたボロスに「悪魔の冠」を作らせたのはジェンカの娘のミザリーです。
 彼女は冠に呪われてしまって冠を手にした人間には逆らえない。
 冠を壊せば呪いは解けます。

 
 上! 四角いのが降ってくるわ!
 

 しかし……
 
 ボロスが死なない限り何度でも…
 それぐらい冠に込められた彼の魂は強いのです。

 
 電撃を放っていた巨大な防衛装置、ヘヴィプレスがカーリーの連射についに音を上げ、最後は外敵を道連れにしようと、埋め込まれていた天井から崩れて落ちた。クォートはこれを素早く回避する。落下の衝撃で床が抜ける。何かを覆い隠すように幾重にも作られた隔壁を突き破って。
 クォートとカーリーも天使たちの襲撃から逃れるべく床に開いた大穴へ飛び込んだ。
「追ってこないわ、あの天使たち!」 
「なにがあるんだろう?」
 全ての隔壁が貫かれたその先に降り立つ。見付けた扉を潜ると、そこは島の外周にある渡り廊下に通じていた。空飛ぶこの島は、今、着実にその高度を下げている。ミミガーたちは大丈夫だろうか、とクォートは一瞬思った、ミミガーだけでなく、敵だったミザリーバルログも無事でいるだろうか、それにジェンカおばあさんと飼い犬たちも――
 クォートの足が止まった。渡り廊下の先には犬が鎮座していた。ジェンカおばあさんの飼い犬のうちの一匹に思われたが、すぐに違うと気づく。ハジメ、シノブ、カケル、ミク、ネネ、どれでもない。
《はじめまして》
 声が頭に溢れる。目の前の犬が声の主だと直感する。瞬間、クォートはこの声を以前にも聞いたことがあると思い出していた。(確か、水路で――)
《そうです》
 犬はクォートの思考を読んで即座に返す。
《私は志あるものになら誰にでも聞こえるようテレパシーを発し続けていました。水路はここに比較的近い場所でしたし、意識を失いつつあったあなたは精神のプロテクトが弱まっていたのでどうにかテレパシーが届いたのですが、あのときはすぐに気を持ち直したので何も伝えられませんでしたね》
 犬の肉体から霊的な光が迸り、姿が明滅し始めた。
《主人を殺して下さい。ミザリーを永遠に解放し、悲劇を繰り返させないためにはそれしかないのです。主人の名はボロス。暴走した魔力で死ぬことさえできない男》
 犬はそこで力を使い果たし、光のつぶてとなって消えた。かつてジェンカの弟ボロスに飼われていた犬の残留思念だったのだろうか。
 犬の消えた向こうに扉があった。
「なんて? ねえ、なんて? どういうこと?」
「どうって――ボクたちは王冠を破壊するためにこの島に送り込まれた」
「ええ、そうよ。でも、王冠は壊せなかった。返り討ちにあって、わたしたちは記憶を失った」
「ところが、もとから王冠は壊せないものだったんだ。壊したところでもとに戻ってしまう。王冠を作った魔法使いの力が強すぎるために」
「その魔法使いがボロスで、そいつがこの奥にいるということ?」
 二人は沈黙に陥った。新たな事実を消化するためには時間が必要だった。しかしそれは二人にとって、いつも足りないものであり続けたし、今このときもそれは変わらなかった。渡り廊下にひびが入る。迷っている時間も、引き返す道も、ない。最終決戦の地、血塗られた聖域のその最奥、封印の間へ、二人は文字通り飛び込んでいた。
 扉から床までの空間になだらかな軌跡を描き、ブースターによるホバリングを経て、着地する。
 封印の間の奥で玉座に着いている影がひとつ。気配はそれのみだった。
「よくきたな」
 制御しきれぬ魔力と己の負った咎の重みの双方から毛という毛は抜け落ち、無尽蔵とも言える魔力のために肥大化した大男がそこにいた。
「よくきたな。
 私がボロスだ。
 幾世も昔、
 刑罰の恐怖に耐え切れず
 魔力を暴走させた…
 主人の手におえない
 強大な魔力だ。
 暴走した魔力は止まらず、
 私を慕う人たち、子供、
 愛する妻をも焼き払った…
 火に呑まれて苦しむ人々。
 私は目をそらす事すら出来ず
 暴走を眺めていた」
 彼は一呼吸の間をおいた後、続けた。
「笑っていたのだ……
 あの時の私は」
 過去を振り返る行為は、天井を仰ぐ行為によって示された。
「ジェンカが私を封印したが
 魔力は暴走したままだ。
 ずっと待っていた…
 この暴走をとめる者が
 やって来るのを……」
 そして大男は玉座から腰を上げた。理性を感じさせた目が豹変し、人のそれとはかけ離れた。
「さあ、私を殺せ!
 さもなくばお前を殺す!! 」
 男は膝を折り曲げる予備動作なしに身体を浮かせると、そのまま空を走った。クォートはスネイクのトリガーを引くが、魔法使いは更に浮上することで回避した。意図しない間が空いてクォートは驚く――出るはずのうねる光線が出ていない――エネルギーが切れてしまった。
 魔術の光が荒れ狂う。雷が降り注ぐ。広いとはいえ、密閉された封印の間にあっては、大気が荒れ狂うのも当然であった。飛ばされそうになりながらも銃を持ち替える。カーリーと同じ銃、ネメシスを掲げる。銃口がカーリーのそれと並んだ。大男に集中砲火が炸裂する。溢れんばかりの魔力は男の肉体を、破裂寸前の風船のごとき脆いものへと変えていた。彼の身のうちを焼き尽くさんとしていた魔力が荒れ狂う。仕留めたという確かな手応えは一秒ごとに危機感へ転じていった。禍々しい魔力が長年の入れ物を自ら破壊し、再構築していく。飛び散った血はコウモリへと姿を変えた。ボロスは人間を超え、魔法使いを超え、破壊的衝動の権化となりゆく。
 猛烈な圧力の底でクォートとカーリーは銃を構えなおした。
 ボクたちは――わたしたちは――このためにここへ来た!
 崩れゆく空飛ぶ島の洞窟の遥か奥で、人知れず血戦が始まる――