会話が成り立たない

098 第六章続き - 物語の紡ぎ手と虚構の住人

「てめえら馬鹿か、そんなんで山猫がとれるかよ!」
 何がそんなに逆鱗に触れたのか知らないが、彼の怒りは凄まじかった。顔が真っ赤になったかと思うと鼻血を出した。一目で剛毛と分かる真っ黒の口ひげに赤い液体がこびりつき、彼は怒りを静めた。
「山猫狩りで散策しているわけじゃないわ」と、レイラが毅然と返した。「山猫を狩って、肉を食べたいとは思うけどね。鹿肉の方が美味しいに決まっているでしょうけど」
「馬鹿か!」男は鼻血を垂れ流し、怒鳴り散らした。「あんな神聖そうな動物を狩るつもりか! そんな可愛そうなこたぁ人間様のすることじゃねえや!」
 そこで盛大なくしゃみをして、彼の鼻血は破裂した風船のように飛び散った。
「鹿狩りだって、しちゃいないわ! 旅の途中よ! この森を越えようと悪戦苦闘してんのよ!」
「え、なんだって? わっかりにくい言葉を使うなや! ええい、なにもいうな、後で話すべ」
 彼は僕らに背を向けて歩き出した。汚れた布きれで鼻を押さえつけていた。レイラは黙って彼の後ろに続いたが、静かにしていられるのも数分が限界だった。
「近くに人里でもある?」
 男は僕らを一度だけ振り向いた。
「おめぇら、ア、さては、明後日は、明々後日は、旅のもんだな?」
「あさって? しあさって? が、なにって?」
「よそものにちげぇねえや! くそったれ、忌々しい!」
「忌々しいですって?」
「鼻血がな! 糞みてえな鼻血だ! 便秘気味の馬が真っ黒の糞便をひることがあるが、そいつの鼻血版ってとこだな、こりゃ! とまらねえ! 畜生! この怒り、どうすりゃいい? ぶっ殺してやる、山猫め、ぶっ殺してやる!――や、いけねえ、いけねえ、気を静めんと。医者もいっていたやな」
 しかし男は気を静めようにも持ち前の短気さが邪魔するようで、力任せに鎌をふるって、「糞忌々しい枝くんだり」を切り払って進んだ。

 
 作中ではずいぶん旅をしているのだが、訛が現れないはずがない。ということで、言語を崩して使ってみたらどえらいことになってしまった。狩人の爺さんは鈍った言語を話すばかりか、これがもし訛っていなくても会話など成り立たせるつもりがないだろうと思わせる言動ばかりとる。
 「さては旅のものだな?」と訊くところで、「さては」にかけて「あさって」「しあさって」と意味のない言葉遊びをするのだが、ヒロインには通じていない。唐突に忌々しいと叫ぶが、話し相手に対してではなく止まらない鼻血に対しての見解であったりする。私としては読者にも通じていないのじゃないかと恐々とするばかり。
 頼むから爺さん、もうちょっと意思疎通というものを図ってくれ。そう思っていたら、似たような爺さんがわんさか出てくる。
 

 レイラは元々が短気な性格をしていたので、これで辛抱強くふるまうつもりはなくなった。
「こっちは空腹で、疲労困憊で、柔らかいベッドの上に寝ころびたくて仕方がないのよ! あんたらの街だか村だかがあるなら連れてきなさい!」
 彼らの反応は僕たちの存在を無視したように彼らの間で成された。
「参った! なんていってるね、こいつ? 早口で聞き取れん!」「難しい言葉を言ったぞ」「なんとかのコンペイトウといったぞ!」「お前は偉いから分かるだろう!」「ああ、誹謗中傷っつったんだ、きっと」「ヒボー……それはどういう意味だ?」「悪口のことだ」「じゃ、この娘っこ、俺らを馬鹿にしたのか?」
 レイラは叫んだ。「疲労困憊っていったのよ! 疲れて死にそうって意味よ!」