よき文章の根元を司るたった一つの真実(会話仕立て)

「僕だってはじめのころは、ちまたでいうところの文章力を養おうとしていたんです。読点を適切に打ち、意味の取りやすいよう短い文章を心がけ、曖昧だったりどちらとも取れる表現を控えるよう努めていたんです」
「新聞記事のような……?」
「そうです。コラムのちっぽけなスペースに分かりよい言葉を並べるあの手の文章を目指していました」
「とてもいいことじゃないですか」
「そうでしょうか……?」
「読み手の負荷を減らす文章はよい文章ですよ」
「ところが、僕はあるとき気付いてしまったんです。ブルーバックスのような本を開けば、どうでしょう、そこには僕が目指した文章が落ち着きをもって並んでいたのです。専門的な内容を初学者に説く平易なテキスト……。それをものにしかけていた僕はそれまで求めていた文章に絶望しました」
「なぜです? 何か欠陥があったということでしょうか?」
「欠陥……欠陥という語句が当てはまるような脆弱性はありませんでした。重心を低く構えるどころかそもそも地に伏しているものはすでに転ぶことがないんです」
「……(なんか分かりにくい比喩がでた)……ええと、それでは、一体何に絶望したのでしょう?」
「誰にも書ける、という点にです。極端に言えば機械でも書ける――当時の僕は人工知能人工無能やボットといった言葉を知りませんでしたが、機械でも書ける、と思ったのです」
「そうでしょうか? 新聞記者もブルーバックスの著者も相応の文章力を得るためにたくさんの努力をしているはずです」
「そんな実際的なことはどうでもいいんです」
「はあ……?」
「たとえば文学作品を新聞記事のような文章で書くでしょうか?」
「新聞記事のようというのは違いますが、平易な文章による文学作品ということでしたら、武者小路実篤の『真理先生』とか――」
「揚げ足をとらんでください!」
「……(えーっ)」
ルイス・キャロルを、ナボコフを、クンデラを、ベケットを見てください。彼らは自分に適した文体を見つけ出し、それを貫いたのです。それによってアホはついてこられなくなった! しかしそうでなければ表現し得ない境地があったんです。解放された夢の世界を闊歩するアリスを書くためにはキャロルにはああいった筆の走らせ方しかなかった。凝った文章を書くためにナボコフは不可解な癖を更によじった。この世の現実はすでに現実感を喪失しているのだからただ現実的に書くだけでは現実的ではないと切実に思ったからこそクンデラはあんな文章になった。そしてあらゆることを事細かに書きつづったベケットの文章はかえって対象が何であるのか分からないまでにしてしまう魔技と化した」
「そう、ですね、まあ……。日本人作家ですと筒井康隆金井美恵子も極度に凝った文章を用いますね」
筒井康隆のことはいうな! あれは違う! 作意がありすぎて例にそぐわない!」
「はあ……(知らんがな)」
「僕のいわんとするところは簡単なことなんです、分かりやすさを求めることが文章の一つの徳と考えられていますが芸術家としての作家にはそんな徳はクソ食らえなんです! なぜなら読まれるために書くわけではないからです」
「でも、読まれることを想定しない作品なんて自慰的なものに終わるのではないでしょうか?」
「少なからずそう言う側面はありますが、僕のいわんとするところはそうじゃない! もっと複雑な事情があるんです!」
「……(いわんとするところは簡単なところっていってたのにィ……)」
「そもそも創作なんてものは自分のためにするものなんです。自分のためといって、自慰的であるとは限りません。身のうちに湧き出でる毒の沼を持つものこそが作家なんです、放っておいたら毒に殺されてしまう! だからどうしても治療薬が要るんです、ところがそんなものはなかなか見つからない! なぜって、毒の種類は人の数だけあって、予め用意された解毒剤なんて滅多にあるわけじゃないからです。だから自分で作るしかない! 先達が作ってきたものを参考に、自分の毒に見合った最高の解毒剤を探す研究の旅――それが創作家の人生なんです!」
「……(うわ、鼻息荒っ、息臭っ)」
「唯一、自分のための解毒剤、それを作るのが創作というものです。他人に読みやすいように書かれた作品なんてものは一般人の服用を目指して作られた薬でしかないんです。そういうものを作れる人は、まあ親切な人でしょう、しかし、身の内側に毒の泉をもっているものにとってそんなことをしている余裕はないんです、かなり切羽詰まっていて、もう死ぬ、今に死ぬの連続なんです」
「それでは、そういった作品というものは、作者一人が読む、そのことだけを想定された作品ということですか?」
「そうです。ゆえに独特の文章にならざるを得ないんです。普通の文章ですむのならそこら辺の書物でとっくに治療されていますよ」
「しかし、それではやはり自慰的作品、独善的作品に陥りやすい傾向にあると思われますが?」
「陥りやすいです。ですが、陥って、そうやってできた解毒剤で解毒がすむのならその程度の病だったというだけの話です」
「そうすると、ごく個人的に作られた解毒剤が世間受けするようなケースはなぜ起こりうるのでしょう? 例えばあなたが先ほど列挙なさった作家は世界的に有名な作家ですが、彼らの解毒剤は彼らにこそ有効なのでしょう?」
「そして同種の病気の持ち主にも有効に働くからです。ロリコンを病とするならば『不思議の国のアリス』が解毒剤になるんです」
「……(解毒されるかなあ……悪化しそう)」
「そういった事情があったものですから、僕は分かりやすい文章に興味がなくなったのです。僕を毒から守り、毒を退けてくれる薬は、ごく個人的なものにならざるをえないんです。文学(文学に限りませんが今は限っておくことにします)がごく限られた人にしか支持されていないことも同様の理由からです。似通った病の持ち主が解毒剤を求めて旅をしているのです」
「……(なんか比喩が一人歩きしてわけわかんねえこの人)」
「想定される読者も当然のごとく自分自身や自分の分身のような誰かとなります。しかしそれは当然のことでしょう? 生まれた年代や国にとって考え方も常識も思想も様々なんですからすべての読者を想定することは原理的に不可能ですし、そもそも小説を書く作家は当然ながら小説を読む読者を想定するのです。活字の大嫌いなサッカー少年なんか想定するわけがない。私の言っていることはその延長上のことなんです」
「なるほど」
「分かっていただけましたか!」
「最後に一つ、いいですか?」
「なんでも訊いてください」
「あなたが新聞記事やブルーバックスのような文章を目指していた頃は、あなたの胸の内から湧くという毒に脅かされることはなかったのですか? あなたにとって分かりやすい文章を目指していたことはずいぶんと悠長な行為だったと思われますが……、つまり……、その当時は毒などなかったのではないでしょうか、と」
「ヾ(;´Д`●)ノぁゎゎ 」
「……?」
「みんなーっ、文学読んじゃ駄目だーっ、病人にとっての良薬は健全な人にとっての毒薬だ〜っ!」
「……えーと、はい、そうですね。というか、そんなの、近代に入ってすぐセルバンテスが『ドン・キホーテ』で打ち上げた概念じゃないですか。要するにラノベ読みは中二病になるというところの延長上でしょう。では、私はこの辺りで失礼させて頂きます」
「ちょっ、ちょっと待って下さい、僕はどうしたらいいんですか、書かねば毒、書いても毒、この悪循環……!」
「簡単ですよ。このエントリをプリントアウトして病院へGO!です」
「それが結論だとタイトルが釣りになる!」
「なんのことです? 病院へ行ってお金払ってお釣りでももらってくればよろしい」
「そんなことしても、読み手が欲しかったんだなと医者に憐憫の眼差しを向けられるだけです」
「読者が欲しいのでしたらタイトルで釣ればいいじゃないですか」
「論が同じところを周回し始めてますよ」
「それは大変だ! 蜂蜜やホットケーキになってしまうまえに失礼します!」
「なるかバカ――ああ、いってしまった。こうなったら仕方がない。初めて邪法に手を染めるが、タイトルを派手に飾るとしよう。内容は充実していそうでその実スカスカで、大見得を切ってばかりにして、一段落が三行で収まる程度に心がけて、もういっそ全部会話文でいいや……肝心のタイトルは……よき文章の根元を司るたった一つの真実……我ながらなんて控えめなんだ! あとは(クリームシチュー仕立て)とでもつけてボケるかべきか、ボケざるべきか、それが問題だ……」