音で繋がる勘違い

 もう、いつになるのか、正確なところは覚えていないが、「うそぶく」を「嘯く」と書くのだと知ったのはキーボードを叩いて打った文字が変換されたときのことだった。私は新鮮な驚きに見舞われた。特に強く思いこんでいたというわけでもないが、「うそぶく」は「嘘ぶく」だと思っていた。これは「嘯く」の「大きなことを言う」といった意味合いが、「嘘、大袈裟、紛らわしい」ところから「嘘ぶく」に(強引に)連結されたものと思われる。
 今日は、「あこがれ」を変換して、「憧れ」が当然出てきて、「あぁ、焦がれ」ではないのだなと、そりゃそうだろというツッコミとともに考えたのだが、私の中で両者は似通っている。細かく分類していくことを嫌う大雑把な性格が「憧れ」と「焦がれ」に一切の差はありません、と「嘘ぶく」のだ。
 他にも似たような橋を渡してしまっている言葉がある。「孕む」がそれである。どう考えても「腹む」でもよい気がするのだ。やっ、全然よくはないのだが、身体的には「孕む」のは腹なのだ。大学時代に女の先輩が「孕むってエロいよね」といったのを受けて「危険を孕むといった用法の方が身近なのでエロくないです」と私が返すと、先輩はアタシってバカだわハズかしいといったふうに顔を両手で覆って私の胸元へ額を軽く当ててきたこともどうしても思い出されるのだが、あ、それは全然関係ないや。「はらむ」とひらがなで書いてあるのを見たときなどはわざと「腹む」と変換して、ひらがなで書いた方が悪いんだからなと胸中で唱えてみるが、うん、これもどうでもいいことだ。さらに「孕み」とあると「サラミ」と「花見」を思い出すのだがこれも関係ないスミマセン。
 あとは、「ひざまずく」とか。「跪く」なのは知っているけど、それって膝をつくんだから「膝まずく」じゃ駄目なのかと。もちろん駄目で、「膝まずく」じゃマズくない? て感じ。
 
 
 タイトルは音で繋がるとか響きのいいこといってるけど、正味すごく馬鹿な話で恐縮だ。
 こんな馬鹿を考えているのは私だけ?