記憶の欠落――メモリー・ラープスでウープス!

はじめに

 ドローステップ。
 それは運命の瞬間(とき)。
 額に汗を浮かべ、ライブラリーの一番上の一枚を手札に加える。ライブラリー、すなわち山札、すなわち自らがデザインしたデッキ。そこには確固たる戦略と残酷なほどに平等な確率が悪戯に混じり合っている。シャッフルされたライブラリーの一番上にあるカードは当然のごとくすでに決定されている。
 引いたカードは――
弟「《ショック/Shock》やろ。さっき《記憶の欠落/Memory Lapse》で打ち消したやん」
私「忘れとった」

 突然だが、私、マジック・ザ・ギャザリング(以下MTGと表記)が大好きだった。
 今も好きだがプレイしていないので過去形にしておく*1
 今回はMTGにもっともはまっていた頃を少しだけ振り返ってみる。といっても、難しい話をするわけでなし。オタク的に語るでもなし。知らない人でもついてこられるように語る*2。カードゲームの話をするといっても、持ち出すのはたった一枚のカード、《記憶の欠落》。


MTG

 MTGを知らない人でも、トレーディング・カードゲームというジャンルは耳にしたことがあるはず。カードをトレーディング(交換)してコレクションするところに由来するジャンル名なのだが、カードの収集はもっぱら購入に偏りトレーディングに頼らないのはご愛敬。
 カードといっても所詮は紙切れ。ケチな私は紙切れなんかに大枚をはたくことができず、安価で利便性の高いカードに惹かれがちだった。《記憶の欠落》はその代表格。効果は「打ち消し」――対戦相手が使った呪文を「なかったことにする」呪文だ。
 ううん、「なかったことにする」呪文、素敵な響き。ドラえもんの道具のよう。現実に欲しくなってくる。
 仕事に遅刻したことをなかったことにしたり、痴漢と間違われたことをなかったことにしたり、ギャンブルでの負けをなかったことにしたり……できたらいいなぁ。
 ただ、一方的に「なかったこと」にできるわけではなく、打ち消された呪文はライブラリーの一番上に置かれることとなる。ライブラリーというのは山札のこと。たいていのトランプゲームがそうであるように、MTGも自分の番がやってくると山札からカードを引く。すなわち、一度「なかったことにされたこと」がまた巡ってくるのだ。
 昨日遅刻したことは打ち消したけど、その代わり今日遅刻することになったり。痴漢と間違われたことは免れたが、また今度同じ目にあったり。ギャンブルの負けをなかったことにしたのに、次もやっぱり負けたり。
 そう、《記憶の欠落》は打ち消しの呪文であると共に先延ばしの呪文なのだ。先延ばしした以上は、また巡ってくる。

私「あれ? このカード、どこかで……」
弟「さっき《記憶の欠落》で打ち消したやつやん」
私「そやったーっ、打ち消されてたんやったーっ」

記憶の欠落

 しかし、また巡ってくるということは悪い側面ばかりではない。一度体験した以上は覚悟ができているはずだ。情報も割れている。ちょっとした未来予知だ。さらには、これはれっきとした遅滞なのだ。対戦相手は早く新しい手段を山札から引き当てなければならないというのに、次に引くカードはさっき《記憶の欠落》に打ち消されたあのカードなのだ。
 しかし、である。
 《記憶の欠落》の真のパワーは、もっとおぞましいものである。
 それは次に引くカードが何であるかをすっかり忘れてしまう効果にある。
 山札の一番上に自分でカードを置いたのに、次に引く頃には忘却の彼方なのだ。「次は有用なカードがくるはず」と意気込んで山札から一枚引き、どこかで見たような絵柄を見つめ、先ほど自らの手で置いた一枚であると気付いて額に手をやるのだ。
 自分が使いたいと思った呪文を「なかったこと」にされるだけでもストレスなのに、良いカードよ来いと念じて山札から一枚引いたときのあのストレスおよび脱力感といったら!
 幾度となく《記憶の欠落》で呪文を打ち消されているのだが、次の番でカードを引くときには毎度打ち消された事実を忘れてしまっているのである。

私「《ショック/Shock》を使ってそこのナマモノに2点のダメージ」
弟「いいよ」
私「もう一枚「《ショック/Shock》を使ってナマモノを焼く!」
弟「それはカウンター。《記憶の欠落/Memory Lapse》で」
私「ちっ……」《ショック/Shock》をライブラリーの一番上に置く。
私「エンド」
弟「ドロー。島置いてエンド」
私「ドロー!(起死回生のカードが来ますように)」
私「……?」
私(三枚目……?)
私「ってさっき打ち消されたっちゅうねん!」
弟(また忘れとったんやな……)

しつこく忘れる

 MTGで遊んでいると慣れゆえにゲームの速度があがっていく。慣れるほどに速くなり、速くなるほどに急いてくる。プレイヤーはいつだって早く自分のターンが来て欲しいと思っているし、山札から手札に一枚加えるドローステップを待っている。
 ドローステップは戦術の新たな手段をもたらす。希望そのものだ。希望を前にすれば、失敗したことは忘れてしまって当然だ。人間は案外とポジティブにできているのだ。そして、無垢な心でカードを引き、前のターンに《記憶の欠落》がプレイされていたことを思い出すのだ。これは自分自身の記憶からの大いなる裏切りだ。
 《記憶の欠落》を使った側もまた、それを忘却してしまうことが多い。使用済みの呪文よりも先の展開が重要なのだ。過去のことなどすぐに忘れてしまう。そして対戦相手が新しく引いたカードを前に失望の色を隠せない様を見て、以前に自分が何をしたか思い出すのだ。
 思い出せるならまだいいのかもしれない。ときには思い出せず、同じ名前の別のカードを引いたと考えることがある。

私「ドロー」
私「おっしゃ、運がいい。いいカード来たで」
弟「《ショック/Shock》やろ」
私「あれ、なんで分かっ――そやった、さっき《記憶の欠落》で……」

二人して忘れる

私「ドロー」
私「あ、そうやった、さっき打ち消されて……忘れてた……」
私「土地出して……攻撃して……エンド」
弟「ドロー」
弟「あれ? これさっき使えへんかったっけ」
私「さっき俺も《記憶の欠落》打ったやん」

 MTGで対戦する相手はほぼ確実に弟だった。
 二人して打ち消しを多用するカウンターデッキを用いたときなどは、二人して記憶を欠落させることがあった*3
 もの見事など忘れの連続。相手がカードを引いて「そうやったーっ」と顔に出すとき、こちらは怪訝な顔になるがすぐに事態を悟のだ。

弟「ドロー」
弟(あれ……? デジャビュ?)
私「お前、俺がさっき《記憶の欠落》使ったこと忘れてるやろ。顔に書いとるで」
弟「そうやった!」
私「アホやなあ。ドロー」
私「……? ?」
弟「兄貴も忘れてるやろ」
私「そういえば俺も使われとったね……」

私「ここで《ショック/Shock》!」
私(通すか、それとも打ち消すか?)
弟「あちゃー」
私「あれ、通しちゃうの? 負けちゃうよ?」
弟「打ち消し呪文持ってへんし」
私「俺が《ショック/Shock》持ってるって知ってたやろ、打ち消し温存しとかんかったん?」
弟「持ってるって知らんし。また引くとか思わんやろ」
私「いや、お前さっき《記憶の欠落/Memory Lapse》うったやん」
弟「あ、じゃあ、それさっき打ち消したカードか!」

勝利の思い出

 MTGは20ポイントのライフを削りあうゲームであり、これを0に追い込めば勝ちなのだが、打ち消し呪文をメインに据えたデッキ同士が対戦すると互いのライフポイントがなかなか減らない。打ち消し呪文ばかりが豊富で攻撃手段に乏しいためだ。そうなるとライブラリーが先に尽きた方が敗北するというもう一つの勝利条件が鍵となってくる。MTGは魔法使いが戦っているという設定であり、魔法力の源であるライブラリーがなくなるということはそれ以上魔法が使えない状態であるからして、敗北は納得せざるを得ない。
 最低六〇枚とルールで取り決められているライブラリーが一枚、また一枚と減ってゆき、使用済みのカード置き場である「墓地」がライブラリーの高さを超え、ついにはあと一枚あるいは二枚というところまでやってきた。カウンターデッキ同士ならば珍しくもない光景だ。
 《記憶の欠落》はライブラリーを一枚増やすことができるので、自分でプレイした呪文を対象にとって自ら《記憶の欠落》することで辛くも勝利を手にしたことがある。本来ならば相手の呪文を阻害する目的で使うところで自分に向けるという変態的なやり方だと承知してもらえれば十分だ。
 子供達がグロテスクで格好いいモンスター*4を召喚して互いのライフポイントを削りあい、わくわくしているというのに、大人達はその脇で山札が尽き果てる寸前の崖っぷち感を楽しんでいるのだ。

弟「ヤヴァイ、ライブラリーが尽きる」
私「《嘘か真か/Fact or Fiction》使いすぎるからや。ドロー。ライブラリーなくなったw」
弟「勝ちー」
私「まだまだ。エンド」
弟「ドロー。こっちもライブラリーなくなったw」
私「お前のエンド前に《ドロマーの魔除け/Dromar's Charm》プレイ。5点のライフを得たい」
弟「得ればー」
私「を、《記憶の欠落/Memory Lapse》でカウンター。《ドロマーの魔除け/Dromar's Charm》をライブラリーの一番上に置きたい。許可する?」
弟「カウンターあらへんしw」
私「エンド?」
弟「エンド」
私「ドロー。ええカードきたで。《ドロマーの魔除け/Dromar's Charm》。で、エンド」
弟「ドローできましぇーん」
私「勝ちぃー」

まとめ

 (結局、MTGを知らない人に優しくない内容になってしまったが、まとめにはいる。)
 画像を見てもらえれば分かるように、テキストには《呪文1つを対象とし、それを打ち消す。その呪文がこれにより打ち消された場合、それをそのプレイヤーの墓地に置く代わりに、オーナーのライブラリーの一番上に置く。》とあるだけ。
 どこを探しても《プレイヤーはこのカードによって呪文を打ち消されたことを忘れなければならない》とは書いていない。(書いていたとして誰が律儀に守るだろうか?)
 しかし、見えないテキストがあたかもサブリミナル効果のようにプレイヤーに浸透し、プレイヤーは《記憶の欠落/Memory Lapse》をつかったことを記憶から欠落させてしまうのである。(律儀にも毎回!)
 この効果のことは「Memory Lapseでoops現象」と呼ばれている。我が家では。

*1:今現在の楽しみ方はイラストを眺めてニヤニヤすること。

*2:大嘘です。保証の限りではありません。

*3:私はドロマーカラーで荒廃の天使が決め手のデッキ、弟はトレンチだったり青単パーミッションだったり。

*4:MTGではモンスターではなくクリーチャーという。直訳すれば「生物(せいぶつ)」であり、MTGのプレイヤーはそれを「生物(ナマモノ)」と呼ぶ。