昨日は金曜日だったんです。

 出発の時刻はいつもなぜか二、三分の遅れを伴って、僕は忙しなくアクセルを踏み、現実修正、現実修正と呪文を唱える。そうやって頭を切り換えないことには路上で何をしでかすか分からない。大通りに出る頃には午後五時になっている。学校帰りの学生、やんちゃなガキンチョ、毎日ダイエットを試みては魅力的なスイーツを前に挫折していそうな主婦が、一体どこで結んだ協定なのか無人の歩道を避けて道路に出てくるので僕はこれを盤石に凌がねばならない。昨日より二分早く家を出たというのに、いつもはひっかからない信号に待ったをかけられ僕は空を見る。六月ゆえに空はまだ赤らんですらいない。女の子が照れて赤くなっていけない道理なんてないし、いわんや空が赤らんで風情を醸し出すことのいけないわけなんてないのだけど、これから仕事へ向かう身の上としては溌剌とした日差しを浴びていたい。信号が青に変わる。列をなした車が緩やかに前進する。期待させておいて信号はまた赤に変わる。空ばかりも見ていられないので隣の車を一瞥する。チョコレートを囓る。それにしても路上に飽和寸前の自動車はどこからやってくるのか。定時帰りの労働者が帰宅後のビールを夢想して溢れているのだろうか。そうかもしれない。定時で帰られるような会社に勤めているのなら、きっと土曜日だって休みなんだろう。花の金曜日、ハナキンというやつだ。僕はこれから仕事だというのに! 明日だって仕事が待っているというのに! 明日ということは土曜日の夜勤であり、土曜日の夜勤ということは終わる頃には日曜日の朝になっているという寸法だ。僕は二日分の労働を控えているというのに周りのドライバーはハナキンの一番美味しいところにかじりつこうという直前なのだ。こんな信じられないことが他にあるだろうか。
 そうはいったって、会社に出れば仲間がいるのだ。共に働く仲間が。たとえ午後六時であっても僕からの挨拶はこうだ、おはよう! おはようございます! 終末の軽いミーティングの後、僕は一台の機械を相手にする。上司が帰る。先輩が帰る。僕はパートさんと二人きりになる。あいにくと女の子じゃないんだ、三十路を控えた妻子持ち。彼も日付が変わると同時に帰る。お疲れ様です。僕は一人で二台の機械を回し始める。がらんと広い五階は僕一人の職場となる。でも四階では十数名の同僚が働いている。ところが今日に限ってみなさん定時あがりだと。僕だけ残業をこなす。会社に一人きり。信じられない! せっかくなので仕事をさぼってみる。中国拳法の真似事をしてみたり、職場のパソコンではてな巡回。五分で良心の呵責に敗北。三時間が過ぎて、気がつけば朝日が昇っている。僕が職場に顔を出したときにおはようございますといった同僚が、今度は僕におはようという、ちょっと前まで違和感のあったやりとりが行われる。三十二歳で肥満形態の彼は朝の不機嫌をばらまきながら仕事を引き継ぐ。僕の頭には帰宅してPCの電源を入れている自分が見えている。すぐにベッドへ倒れ込む姿も見えている。その先、すなわちまた出勤する自分、働く自分、定時で仕事を終える自分までも見えている。
 毎日繰り返し。区切りがない。前のめりになっているのに、倒れ込むのは休日。でも、そうだ、今日はいつもと少し違ったのだから、他にもいつもと違うことをしてみよう、日記を付けてみよう。はてなダイアリーを更新している自分が見える。でも、これは実現しないだろうな、いつも書かないのだから、今日も書かないに決まってる。そんなふうに思いながら会社を出た。空は曇っていた。この朝に夜勤を終えたのは僕一人だと気付いたのは、帰宅して日記を書いてからだった。書かなかったら気付かなかっただろうな、気付いて得があったわけでもないけれど、オチのない日記の苦肉の締めくくりには使えるだろう。気がついたといえば、そう、気がつけばあと二日だった重荷があと一日に変わっているじゃないか。それじゃお休みだ、グッナイ!