蜘蛛と僕とハナクソと

 大学生時代の私は祖父母の家に下宿させてもらっていた。私が小学生の頃に祖父が自分の手で建築した赤い煉瓦の外観のあの家*1は祖父母が二人で住むにはあまりに広すぎた。二つある冷蔵庫の中身もそうだ、食の細い老人二人分にしては多すぎた。祖母は貧困に喘いだ体験のためか冷蔵庫に何か詰めていないと落ち着かないようで、掃除したときなどは賞味期限切れの納豆と必ず対面できた。祖父は車を買い換えるのが好きで何年かに一度車を買い換えているし軽トラも含めガレージには三台の車が収まっている。ずっと前に乗っていたセフィーロを祖父はどうしても「せふいろ」としか発音できなかったし今乗っているディーダも「ていだ」である。もう一台のクラウンだけは「クラウン」と発音できている。金喰い虫をよくもまああれだけ所有していられるものだと社会人になって自分の車を持つようになった今だからこそ真に驚く。
 虫といえば、築十年を過ぎた祖父母の家の庭には蜘蛛が巣を張るようになった。いったいどこからやってきたのか、私が下宿し始めた頃には庭先の至る所に大きな網が広げられていた。あの美しい網目模様はいつも私の目を楽しませてくれたし、大学へ行くために裏の勝手口から外に出るとき必ずといっていいほど頭の天辺を撫でてくれた。それでも巣は形を保ち、蜘蛛は陣取った位置を保守し続ける。きゃつの築一ヶ月の家は羽化したてのアゲハチョウの羽のようには脆くなかった。意外だったが、暴風も大雨も凌ぐことを考えればそれくらいの強度と柔軟性はあって当然だった。
 祖父の家にはパソコンがあって、インターネットに繋がっていた。私がネットをするためにはそのパソコンが置いてある離れにらねばならなかった*2。起動に十五分かかり、エクスプローラが立ち上がるまで五分かかり、それからフリーズするので電源を落として起動し直すためネット巡回は一時間後を想定しなければならなかった。夏場、そこには蜂が入り込んだりなどして臆病な私の神経をいやというほど撫でていく。それでも見事撃退したこともあったし、その蜂の死骸を放置していたら翌々日にゴキブリがたかっていたりもした。ゴキブリがなにかを食べるという当然の事実に感心しながらスリッパでこれも撃退した。都会の黒光りするやつに比べ、田舎のこの茶色いのは覇気がなかった。
 私はなんとなく蜂の正体を知りたくなってネットで調べてみた*3。正確な名前は忘れたが泥蜂の一種だった。そのついでに蜘蛛の正体も調べてみて女郎蜘蛛の名を知った。スマートなボディ、尻に赤い文様、黄と黒のボーダー、間違いなかった。
 ときに連中は部屋の中ですら巣を展開する。電灯から下りている紐を利用して巣をつくると紐は糸に引かれ、くの字に折り曲がるため、巣が完成すると紐も含めY字が描かれることとなる。目の悪い私は眼鏡をかけていないときにこれをみて、なんでまたこの電灯の紐は空中で折れているんだろうと驚かされたものだった。
 蜘蛛というのは本当に神秘的だ。特に女郎蜘蛛はその鮮やかな色彩と長い足が造形の美を物語る。しかしこの小さな身体のどこに複雑な巣を紡ぐ技能が収まっているのだろう。私は精妙なからくりを見ているような気分になって蜘蛛に様々な悪戯をした。息を吹きかけて反応を見ることは何百回とやった。我が空気砲は巣の強度を凌駕することはなく、タチコマのモデルを撃墜することも叶わなかった。葉を付けることもまた同じくらい試みた。反応は様々だった。巣に異物がついたくらいでは反応しない肝の据わったやつもいれば、すぐに異物を落としにかかるやつもいた。巣を綺麗に保つことにかけて神経質な彼女は、私が葉をどれほど近づけても中央で待機していて、葉を取り付けるや否や迅速に落としにかかるのだ。あたかも彼女の世界は巣の平面上のみであり他は認識できないかのようだった。ちょいと枝でつついたり巣を少し壊したりして彼女を地面に落としたとき、彼女は明らかに私から逃げていくので平面上しか認識できないわけではないらしかった。翌日になると巣は修復されていて、中央には主がいる。同じ彼女なのかどうか、甲斐性のない私には判別がつかない。しかしとるべき挨拶は同じ。葉を貼り付ける。YOUTUBEはっぱ隊を知ったばかりだった私はテレビが力を持っていた時代を想像しながら蜘蛛の応対をただ待つ。綺麗に葉を処理する手並みは昨日の彼女と同じ。彼女の意図するままに糸は捉えるべき獲物を判別する。彼女の足先がさらりと葉を撫でると糸は粘着力を忘れたみたいに葉を風に返す。それでも私が執拗に葉を押しつけると潔癖性の彼女も諦めたのか動かなくなった。
 あるとき、巣に蚊が引っかかった。毎晩耳元で煩いあいつが! 自分の背丈の百倍の高さから墜落しても生きていられる軽量のあいつが! そのときは逃れられず藻掻いていた。彼女は迅速だった。糸でくるんで小さなダンゴに仕立て上げた。これまたYOUTUBEでアニメ『花より男子』を閲覧していた私はエンディングを口ずさむ*4。憎き羽虫に捧げるレクイエムにはなったに違いないが彼女はまだそれを食そうとしなかった。ダンゴになったそいつは今や保存食というわけだ。ほとほと感心した私はなにかもっと大きな餌を与えてみたくなって辺りを探してみたが都合良く大きな虫が見つかったりはしなかった。今となっては子供の頃のようにはさわれないバッタやコオロギでも掴んでやれる気でいたのにゴキブリ一匹見つからない。だがそのとき私の鼻はむずむずとしていた。たとえむずむずとしていなくても私はきっとそれを与えることに行き着いただろう。たいていの場合指を突っ込めば大物が採れることが私の密やかな自慢の一つだ。とれたとも、とれたとも。それは大物も大物、金色の光すら放って見える一品だった。小学生の頃耳鼻科に通い詰めていた私にとって鼻から出てくるものは世間一般の大学生が見なすのとは違って馴染み深い存在だった。いっそ朋友といってさしつかえない。それでも、これを彼女にプレゼントするのはもったいないかもしれないなんて一度も思わなかった。私はそれを指で弾いたが粘着質の部分が作用して弾こうとした指に鞍替えしただけに終わった。私は逸る気持ちを宥め賺し(また、他者が通りかかることを若干恐れ)成功するまで指で弾き続けた。行為はついに稔り、黄金は彼女のテリトリに着地した。一瞬の間があったかと思うと彼女は迅速に獲物に覆い被さった(君はなんて大胆なんだ!)。私は次に起きることを興奮気味に待った。彼女は贈り物を異物と見なし排除するだろうと予想しつつも、それを大切に白い糸でくるんではくれまいかと期待してもいた。ここでも一瞬の間があった。葉を落とすときの手際の良さがなかったため、私は、受け取ってもらえたのだと心で喝采した。だが! 彼女は飛び退いたのだった。蜘蛛は巣の上であんな迅速に動けたのだろうか。速やかな動きというのではなく飛び跳ねたのだ。電気的な刺激に驚いたがごとく彼女は中央へ舞い戻った。私は何に対してか分からないまま驚いてしばし立ちつくしていた。当時私は蜘蛛が味見をして、その不味さに驚いたのかもしれないと考えたが、今では彼女があの瞬間どのような体験と判断を下したのか見当もつかない状態である。
 確かなことは、そこにハナクソがあったということだけだ。眼鏡を外せば空中に浮いていたし、翌日にはどこへいったのかなくなっていた。



 しばらくして、庭師が木の剪定を行った。女郎蜘蛛の巣は一掃された。ひと月もすれば祖父母の庭は再び女郎蜘蛛たちの狩り場へと変貌しているだろう。彼女らが帰ってきたとき、私は何を送ってあげれば喜ばれるだろう。そんなふうに考えもしたが、それ以来何も送らぬまま今に至る。今でも祖父母の庭先には女郎蜘蛛が氾濫しているし、ダイニングの真上で電灯の紐はY字を描くのだ。それはもしかするとY染色体をもっている私へのなんらかのメッセージなのかもしれない。

*1:ただし設計図を引いたのは祖父ではない。

*2:離れというか祖父の職場。事務所。

*3:本当はなんとなくではない。下宿先でのまったき敵であったので、どうしても知らねばならなかった。孫子が急かすのだ。空調の水滴を屋外に逃がすための管に泥を詰めてマイ漫画本棚に水滴を逆流させた張本人でもあった。

*4:いつだって素直な気持ちになれるのは気まずく別れたケンカの後だけさ