情緒が空間を満たすとき、ストーリーは飾りになる

 私がスピッツを好きだというと多くの同僚が「ああ分かる」「それっぽい」と評するが、彼らにとってのスピッツのイメージは純粋さとかウブさとか、そういったものなのだろうと思う。すなわち『チェリー』だとか『空も飛べるはず』だとか、小学生が元気に歌い、中学生が思春期特有の精神で聞き惚れ、高校生が恋愛を謳歌しながら共感を持つといった、その手のイメージ。でも深くスピッツを好いている人ならばもっと別のイメージを持っている。少なくとも「マサムネはエロい」ということは分かっている。『海とピンク』は《ほらピンクのまんまる 空いっぱい広がる キラキラが隠されてた》で始まるし、『ラズベリー』では《泥だらけの汗まみれの短いスカートが》とか《君のヌードを見るまで僕は死ねない》とか歌う。

 「物語」のある作品とはなんなのかという話 - ポンコツ山田.comスピッツの曲を《それを味わうことで何かイメージが膨らんでいくような作品》に数えています。

スピッツの曲には明確な筋のある歌詞が少なく、けっこう抽象的なんですが、それでも音とあいまって何かこう心に訴えるものがあります。なんでしょうね、自分(この場合は草野マサムネさんですか)の中にある「物語」を、音楽という形式で形にしようとした結果の歌詞とでも言いますか。言葉だけでは、どれだけ費やそうとも自分の中にあるイメージを説明仕切ることは出来ないけど、音楽と歌詞という形式をとることで一つの「物語」を作った、みたいな。

きっとそれはワインの味の表現のようなもので、真実そのワインの味を伝えたければ、ワインそのものを飲ませるしかないのですがそうもいかないので、味覚とは直接関係の無い語彙を使うことで、なんとか味覚を言語で伝達しようとしているわけです。そんな具合に、言葉による説明ではなく、音楽と歌詞で「物語」を説明しているような感じ。

 スピッツの曲一つでなにか物語が書けるのではないかと何度も思いながら具体的なことは何一つできないでいた私は、これを読んで納得した。私が創作しようとするとき、スピッツの歌詞を忠実に再現しようとしてしまっていたのだな、と。言葉ばかりに着目していたので物語を再現できなかったわけだ。(とはいえ、私がいつも物語りしたくなる『タイムトラベラー』の歌詞は比較的明確な筋を持っているのだが。)

 それにしてもスピッツの歌詞はわけが分からないものが多い。抽象的であるばかりか脈絡がなかったりする。しかしその方が愛を歌えている。一般のJ-POP*1が愛を歌うときは、その紋切り型の歌詞に閉口してしまうが、スピッツの場合はスピッツ――プラスチックのカバーを外したその後で - 備忘録の集積で言及したように紋切り型で紋切り型を殺す感じだ*2



 ところで山田氏の述べる「物語」がすぐには分からなかった私は氏のブログを何度か読み返す内、自分の言葉でいうとそれは「情緒」ではないかと思うに至った。特定の情緒を帯びた曲は歌詞が持つストーリー*3――表に現れている読み取りやすい情報――をむしろ裏方というか細部というか背景にちりばめられた夜の星のごとき装飾に変えてしまう。(作業用BGMは作業が主役、BGMは当然うしろで流れている脇役になるが、情緒ある曲は情緒や曲をメイン、ストーリーを脇役ないしは小道具にする)
 情緒ある曲で私が真っ先に思いつくのはハイ・ファイ・セットの『冷たい雨』だ。


 マーマレードではないけれど、オタマジャクシが思い出させること - 備忘録の集積で取りあげようかとも思ったくらいで音楽以外の体験が染み込んでいる一曲でもある。母、祖母、妹が温泉へ旅行するときドライバーとしてついて行く私は母がかけるCDから『冷たい雨』をはじめて聞いた。海岸に沿った上下左右に曲線を描く道路を運転しながら聴いたり、曇り空を軽く見上げながら海を目の端に捉え助手席でぼんやりと聴いたりすると音楽の情緒は増して、(母にとっては)懐かしいメロディが深い余韻をもたらす。母はいった「この歌、悲しい内容やのに明るく歌ってる」
 それだ、と私は情緒の在処に気付いて同意を示す。失恋は確かに悲しいけれど、他人の袖を捕まえて「私、悲しいの、同情して」なんて呼びかけるものではないし、そうなると疎ましいばかりだ。ところが『冷たい雨』は、もの悲しくて切ない内容なのにどこか明るい。歌詞を大雑把にまとめれば呪詛のはずなのに、映像が目に浮かびそうな具体的ドラマが眼前で移ろっていくのに最後には情緒の中に溶け込んでいくストーリーとの絶妙の距離感が「筆舌に尽くしがたい」としかいいようのない堪らない心地にさせる。ハイ・ファイ・セットのことなんて、年代の違う私には何一つ分からないのだが、音楽の中にストーリーが完全に溶解して美しい澄んだ色を形成している『冷たい雨』を聴く度にいつも感慨深い吐息を唇の合間からすり抜けさせてしまう。

*1:最近衰退気味らしい

*2:ひょっとするとそれすら超えているかもしれない。

*3:物語と区別してあらすじという意味でカタカナ表記にする