霧と霧に隠された水面とそこに映る像を思う


テキスト

 ひんやりとした大気が実体を持つとき霧は生まれる。足下から這い上がってくる冷気も、肺の中を凍てつかせんばかりの張りつめた空気も、夜が途切れ朝がやってくる、天を司る偉大な二つの性質のどちらにも属さない曖昧な境において、薄ぼんやりとした紫の光を微かに帯び、霊的な匂いを漂わせていた。立ちこめて周囲を乳白色に染めてしまっている靄はそこにあってそこにない、確かであって幻のような全体によって空間を包み込んでいた。大気が乳白色であるならばここにある私の手足がここにあると視覚によって証明されはしないだろうに、生まれながらに持っている掌の筋まで見えてる。しかしながら前方は乳白色に閉ざされ、世界もまたあますところなく(私を世界の一部と認める言い回しが避けられる場合)一色であった。恐らくは何歩進んだところでそこに見えている乳白色そのものに触れることは叶わないであろう。乳白色は青みを増し、靄が乳白色と呼ぶことを困難にさせた頃、世界は唐突に藍色のぼやけた陰をもたらした。目を凝らすと陰は影を落とし、その結晶のような姿を丁寧に写し取っていた。靄に溶けて隠された水面が映し出しているに違いなく、そうすると、私の眼前には池が広がっているはずだったし、影の本体はその池の向こう岸か、あるいは池の中に浮かぶ島に屹立していることもまた疑いようがなかった。靄は緩やかに、ほんの僅かだけ晴れてゆき、均一に限りなく近くあるもののその実、決して均一ではない曰く言い難い不均一な青を強く取り込んでいった。藍色の枝葉が見えるようになったが、その根元は未だ幻想に呑まれていて、水面に映る鏡像との境界を溶かしていた。

呟き

 やっぱり語り手と対象物の距離感というか、位置というものが決まっていなければ語りようがない。
 今回はあえてテキスト化しやすそうな画像を探した。といっても、この画像が選ばれたのはテキスト化のしやすさが理由ではない。エルマー少年が竜を救ってからの物語『エルマーとりゅう』の序盤を思い出させたことが原動力となった。(海を渡ろうとする竜くんが疲労と嵐のため、ついに力尽きて海に下りてしまうもそこは偶然浅瀬になっていて、霧が引いていくと同時に、ということは近くに島があるのだと気付くくだり。)