文学を読む意欲のない自分へ処方するのは哲学本
昨日は家庭内忘年会。ボーリング→回転寿司→カラオケ。
ボーリングは3ゲームやってスコア100超えたのが一回。
続いて回転寿司だったのだが、待ち時間が長いだろうと思い手ぶらだったため本を購入した。
- 作者: 坂井昭宏,宇都宮輝夫
- 出版社/メーカー: 成美堂出版
- 発売日: 2007/03/01
- メディア: 単行本
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哲学、好きなもので。しかし本格的な哲学書を読もうとする情熱はかなり薄れてしまっている。
なにはともあれニーチェの辺りから読み始めた。フーコーを取り扱っている最後のページで、ちょいとがっかりした。あんまりよろしくない。内容をはしょっているためなのか、著者が理解していないのか、言葉が足りないためにフーコーの思想が誤って伝わってしまいそうなところを発見した。
テキストとイラストのパートに分けられるのだが、まずはテキストのパートから。
国家権力が国民を縛り、反抗するものを罰する「死の権力」の時代が終わった今は、福祉、公衆衛生などの管理システム=「生の権力」の時代。その中に私たちは生きているのです。
生の権力に関する記述がこれだけ。これでは生の権力がなんなのかサッパリ分からない。死の権力は「国家権力が縛ってくる、ウゼー」と解釈できるが、生の権力は「管理システムが……なんて?」
次にイラストを交えているパートの説明文だけを取り出してみる。
●死の権力
支配者が国民を縛り反抗する人を罰する時代。
●生の権力
権力に縛られることなく、自由な時代に私たちは生きている。
こいつがいけない。これではまるで、フーコーが生の権力を肯定していたように読み取れてしまう。いや、それ以外に解釈しようがない。
正しくは以下のように文章を補充すべき。
「権力に縛られることなく、自由な時代に生きていると思われていたが、実際は規格化する権力の進化的存在に過ぎないとフーコーは暴いた」
これでよし。*1
内容に誤りないしは誤読を誘発する悪文が含まれているとは油断できない本だが、頭を読書モードに切り換える効果があるようで、億劫に思っていた別の書物をやっと繙けそうだ。