真面目に物語を作ろうとする人は『鈴木先生』を読んで自殺するしかない

鈴木先生 6 (アクションコミックス)

鈴木先生 6 (アクションコミックス)

 『鈴木先生』六巻
 死ぬ。
 物書きを志して以来、小説に心を折られたことはないが*1漫画にならば幾度も敗北を思い知らされた*2。お前には書けまいと自虐的になる。
 自分*3にはつとまらぬ大役を担う鈴木先生。彼の状況を考えると、私は裸足で逃げ出したくなる。
 未発達で過敏で純粋ゆえに邪悪で経験が浅いゆえに早計で性欲に翻弄される場合には猿であり周囲に流されてしまう辺りは羊であり無責任という点では野犬であり理性や客観という概念を知りながらもつい感情的になって自制心を著しく失うときは人間という名のもっとも獣らしい獣であるところの中学生が、その性質を失わないまま、しかし鈴木先生の数少ない言動やこれまでの指導や彼ら自身に内在する秩序を形成しようとする作用によって「議論」をし始め、大きな物語が幻想であったことが明白となったこの時代(=ポストモダンという名の現代)に、見事な弁証法が展開される。それが今作の六巻目だ。
 タイトルからも分かる通り、教師ものの漫画なのだが、そんなジャンルでくくれるものならくくってみよ、その愚かさは数々の知性に笑われるであろう。六巻はこれまで読んできた漫画の中でも最高の一つに数えられるスリリングな展開を持っている。スリル! コードを一つでも切り間違えたなら即座に爆発する爆弾の解体作業のごときスリル!
 知っている、私は知っている、しかし言葉にするには当たり前すぎて難しく、幾度も捕まえ損ねてきた正論が、偽善的にではなく積み重なり、美的というよりは几帳面に共鳴し、真理を示すその瞬間は――次の巻へ持ち越しだ。

*1:ウソです。でも立ち直れる。

*2:漫画に心を折られたら立ち直れない。マンガニハカナワナイ。だからこそいっそう小説の中にしかないものへ逃走する。。逃げ切れなければ死ぬ。

*3:ブログの筆者