労働の輪廻の果てへ飛び出したい

<本音>
 働きたくない。
 働かずに食べていく方法はないだろうか。
 楽して金儲けをする方法はないかしら。
 と、頻繁に考える。
 昨今ではニート的思考と揶揄されそうだが、誰しもが持っている本音だと私は思う。


 「いいや、俺は働きたいよ」と、おっしゃる方。それは虚栄でいっているか、もはや労働ではない何かとなっているだけだ(自己実現が可能な手段となっているのなら、それは労働ではない)。



<私の価値観>


 とはいえ、私の価値観が世間一般の価値観と類似しているとは思っていない。


 私はまだアルバイトをしたことがない。
 就職してはじめて働き始めた。
 もともと金のかからない趣味を求める性格をしている。
 ケチで、他人のために財布のひもを緩めないというみみっちい性格もしている。
 金を稼ぐという考え方よりも、金をなるべく使わないという考え方をする。 


 大学時代に友人から、一緒にバイトをしようと誘われたことがあった。
 私は断った。
 「僕は金を払ってでも時間が欲しいと思っている。働くことで僕は時間的拘束を受け、もっとも欲しいと思っている時間を失い、しかも、その金で時間を買うことはできないときている。ゆえに働く道理がない」


 私は働いていなくても毎日大金をもらっているような気でいた。
 いくらでもいい。さしあたって、毎朝百万円が私のポケットに滑り込んでくるとしよう。その金を届けてくれた存在はいう。
 「ところで君は今日、働かなければならない。百万円支払うならその義務を免除してもいい」
 私はすぐさま百万円を払う。


 たとえ話で百万円にしたが、本来はプライスレスだ。
 自分の望むままに生きられる一日を、百万円で買っていた。
 就職した今は一日を一万円程度で売っているわけだが。
 なに、この差。


<理想>


 だからといって、一分も働きたくない、とまでは思っちゃいない。
 誰かが働かなければ社会が回らないのだから。
 しかしそれならば、一日につき実働八時間程度でいいのでは?
 私個人は八時間だって多いと思っている。
 六時間くらいでいいだろうに、と。
 「だったら、アルバイトでもパートでも派遣でもいいから六時間だけの労働ですむよう勝手に計らえばいい」
 というのが世間様の見解だろう。
 しかし、そのように言い切る世間様は(まあ、そんな世間様なる具体的な個人がいるわけでもないのだが)、いい歳をしてバイトやパートでどうにか銭を稼いでいるのね、と蔑むのだろう。
 そういう環境では六時間労働が流行るはずもなく、促進されるはずもなく。


 「環境や周囲のせいにするな」
 という批判は的外れの気がする。
 六時間労働という選択肢が本当に選択可能であるなら、それなりの需要がきっとある。しかし現実には「定時に帰られるわけないだろう、何甘いこと考えてるんだ」か「自宅警備員」の二極しかないわけで。


<現実>


 まあ、なんだかんだいって、現実には働いているわけで。
 十二時間労働。
 理想の倍働いているから理想を超えてるね(笑)
 週休二日制とのたまっておいて、土曜日が来たら「休日出勤」の名目で私を会社に引っ張り出す。


 十二時間労働なのは、一日中機械を動かして生産量を高めたい二交代制の製造業だから。
 定時を過ぎれば残業代がちゃんとつく。
 夜勤なら夜勤手当が付く。
 休日ならその場合も特別な手当がつく。
 てな具合で、金はちゃんと出してくれるのだが……。
 十重二十重に巡らされた理屈によって十二時間、きっちり労働者を拘束している。それって法律的にセーフでも、なんだかなあ……。
 また、機械を動かしっぱなしにしたいのだから、交代の際に、同じ機械の担当者に現状を伝える必要がある。何ら問題がないか、しばし交代者の仕事ぶりを見守ることとなる。それは短ければ五分、長ければ二十分程度。
 つまり。二交代制ゆえに交代者とのコミュニケーションは必須であり、十二時間経過したその一秒後に会社を出ているというようなことはあり得ない理屈だ。しかしこの必然的に訪れる超過時間に金はでない。でるはずがない。そいつはサービスだ。社会人としての責任であり、仕事に対する責任感の現れだ。
 なんだかなぁ。
 責任や責任感という言葉に労働の超過を押しつけてしまうのは、乱暴じゃないか。



<同僚の価値観>


 私は既に述べた通りで、金を払ってでも仕事を休みたい性格だ。
 しかし周りはそんなことはない。
 休日出勤を歓迎している。
 訊いたところ、こんな理屈が返ってきた。
 「休みだと、暇じゃないですか。暇だとパチンコへいってしまって、金を使っちゃうんス。趣味の釣りも寒いからシーズンオフってことで、余計することないし、パチンコで金をすってしまうだけなんス。だから仕事があった方がいい。休日出勤は定時に帰られるし、一日で一万円以上稼げるんスよ。休日出勤がある月とない月では給与が全然違いますよ」
 なるほど。
 ……。


<近い将来>


 じゃあ、休日にしたいことがたくさんあって、パチンコのように金をどぶに捨てるような趣味を持っていない私は……?
 今の仕事をやめろというんだな。
 そうしましょう。
 と、いつも思っている。
 辞めよう、辞めよう、と。
 そんな私のもとに部署移動の通達があった。
 製造から品質保証へ。
 仕事内容ががらっと変わる。夜勤もなくなる。
 で。
 労働時間は一日につき十二時間だなんて優しい取り決めはない。製造は交代者がやってくるからいいが、品質管理は終わるまで帰られない。

 ますます私の価値観に逆らった仕事形態へ移っていくわけだが……。
 やらずにリタイアとはいくまい。
 来月には辞めようと思っていたところを、冬のボーナスがもらえるところまで耐えるという動機付けもできた。
 しかし、それ以降はどうしようか。

 働くべきか、否か。
 働かなくたっていいじゃない。
 そう思いながらも、まだ働いている自分がいる。
 これ、狂気じゃないか。
 なんで一日六時間労働の理想を掲げている私が一日十二時間超の労働時間を体験しようとしているのだろう。
 マゾなのか。